作品の本質を、結晶のような明晰さで浮かび上がらせた高関健と仙台フィル
仙台フィルのサマーミューザ登場は2019年に続いて2度目。当時はレジデント・コンダクターだった高関健は、今回は常任指揮者としてオーケストラを率いた。
高関の指揮は、感情に流されることなく、作品の構造を透徹した眼差しで読み解くように緻密である。その厳格な造形は、ときに近寄りがたく感じられることもある。しかし、古典を装う中に皮肉を秘めたショスタコーヴィチの第9番と、深い悲劇へと沈みゆくチャイコフスキー「悲愴」では、そのアプローチが作品の本質を結晶のような明晰さで浮かび上がらせた。
戦勝を祝う壮大な交響曲への期待を裏切るように書かれたショスタコーヴィチの交響曲第9番で、高関は第1楽章の唐突なトロンボーンの登場を強調し、それを揶揄するようなピッコロの主題も際立たせた。そのやり取りは、作品に潜むアイロニーを鮮やかに浮かび上がらせた。
高関はプレトークで、第4楽章ラルゴのファゴットの長いモノローグ(独白)に触れ、「ベートーヴェン〝第九〟のような壮大な作品への期待はわかっているが、書けません」という思いが込められているように感じると語った。首席ファゴット西口真央の暗く深みのあるソロは、その言葉を裏づけるに十分な説得力を備えていた。
チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、初演9日後の急逝もあり、謎めいた死との関連がしばしば論じられてきた。高関はそうした伝説に寄りかかることなく、作品の構造と感情の起伏を緻密に描いた。
第1楽章アダージョでは、二つの主題を情感過多に陥ることなく描き出した。第2主題は、クラリネットから、バス・クラリネットではなく、原譜どおりファゴットへ最弱奏で受け継がれ、展開部で金管の強烈な咆哮へと一気に転じ、聴き手を戦慄させた。
第3楽章スケルツォでは、行進曲風の終結があまりにも鮮烈だったため、楽章が終わると場内から自然に拍手が起こった。高関は親指を立て、「気にしないで大丈夫」とでも言うように応えた。そのさりげない仕草にも、聴衆への温かな配慮が感じられた。
終楽章アダージョ・ラメントーソ(悲しげに、おだやかに)の冒頭主題で、高関と仙台フィルは、それまで抑えられていた感情を初めて解き放ったように感じられた。祈りのような中間部を経て、主題は苦悶するように高潮し、消えゆく。死を告げるかのような銅鑼が鳴り、コーダは淡々と閉じられた。だが、タクトが止められたあとの静寂の中から、重く深い感動が静かに湧き上がってきた。
アンコールはチャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」第4楽章から。仙台フィルが一丸となった演奏に、客席から大きな喝采が送られた。
(長谷川京介)
公演データ
フェスタ・サマーミューザ KAWASAKI2026
仙台フィルハーモニー管弦楽団
7月26日(日)15:00ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮:高関 健
管弦楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団
コンサートマスター:西本 幸弘
プログラム
ショスタコーヴィチ:交響曲第9番 変ホ長調 Op.70
チャイコフスキー:交響曲第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
アンコール
チャイコフスキー:交響曲第1番 ト短調 Op.13「冬の日の幻想」第4楽章から
はせがわ・きょうすけ
ソニー・ミュージックのプロデューサーとして、クラシックを中心に多ジャンルにわたるCDの企画・編成を担当。退職後は音楽評論家として、雑誌「音楽の友」「ぶらあぼ」などにコンサート評や記事を書くとともに、プログラムやCDの解説を執筆。ブログ「ベイのコンサート日記」でも知られる。










