—12―「レコード・コンサート」は不滅か

「かふぇ あたらくしあ」のレコード・コンサートで使用される蓄音機「クレデンザ」(左)と「シレナ」
「かふぇ あたらくしあ」のレコード・コンサートで使用される蓄音機「クレデンザ」(左)と「シレナ」

レコード・コンサートという名は、今は死語と化したようだが、昔は極めて大きな存在だった。今ほど演奏会がなく、もちろん外来オケなど想像もできなかった時代、欧米の優れた演奏に接しようと思えば、レコード(当時はディスクとは言わない)に頼るしか方法がなかったのである。そのレコードも高価で——戦前のことはともかく、たとえば1950年代後半、大卒の初任給が8000円~1万円だった時代、クラシック音楽のレコード(33回転のLPレコード)は1枚2300円だったから、決して容易く手に入るものではなかったのだ。それゆえ、愛好者たちはラジオのレコード番組にしがみつき、あるいは当時流行っていた「名曲喫茶」で、珈琲一杯で長時間粘りながらレコードを聴いた。そしてレコード・コンサートがあると聞けば、ただちにそこへ詰めかけたのである。

レコード評論の大先達、あらえびす(本名・野村長一、筆名は他に野村胡堂)の著書によれば、戦前、氏が「帝大」(今の東大)の大教室で開催していたレコード・コンサートには、常に1200~1300人の聴衆が詰めかけていたそうである(注1)。また1960年代に志鳥栄八郎氏がキングレコードと協力して全国で行なっていた「コンサートキャラバン」では、会場に常時1000~1300人が集まるのが普通で、たまに500人程度しか客が来ないとなると、主催者は「面目ないといって眼を伏せた」(注2)という。
筆者の経験した範囲でも、レコード・コンサートは結構威力があった。筆者の通っていた麻布高校では、音楽好きの教師が週1回、昼休みに会議室でレコードを聴かせていたが、「田園」や「皇帝」などの名曲がかかる時には、60人ほど入れる会議室が生徒たちであふれ返ったものだ。またトスカニーニが世を去った時、ヤマハホールで開催された「トスカニーニの映画とレコード」も、満員の盛況だったと記憶している。当時、レコード・コンサートに詰めかける人々は、みんな、真剣だった。ナマ演奏のコンサート同様、身じろぎもせず、音楽を聴いていたのだ。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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