自然に流れながらも愉悦感と味わいのある、熟した大人の音楽
現役屈指のピアニスト、アンドラーシュ・シフが、自ら結成したカペラ・アンドレア・バルカと共に行う、2度目にして最後(同団は来年解散)の日本公演。足を運んだ川崎公演の演目はJ.S.バッハのピアノ協奏曲集で、第3、5、7、2、(休憩)、4、1番の順に演奏された。

使用楽器は持ち込みのベーゼンドルファー、ピッチはA=442とのこと。オーケストラを含めて古楽の態勢ではないが、むろん分厚くロマンティックな表現がなされるはずもない。シフは、(確認した限り)ノン・ペダルで、クリアかつまろやかなソロを奏でる。均質性の高いタッチやダイナミックレンジはチェンバロに近いが、音色感は紛れもなくモダン・ピアノ。その明確で珠のような音が、古雅ながらも芳醇(ほうじゅん)なバックとよくマッチする。
シフとオケのアタック、フレージング、呼吸の揃い方は終始抜群で、バランスも絶妙。シフは前半の第5、7、2番で、曲の前に導入的なソロを奏でたが、これにより期せずして曲に引き込まれる。細部を1つ挙げれば、第5番第2楽章の歌が豊潤なピッツィカートと相まってこの上ない美しさを醸し出す。こうした遅い部分の滑らかな運びもピアノの特性を思えば驚異的だ。この日展開されたのは、モダン楽器による(その良さを生かした)理想的なバッハ演奏と言っていい。

アンコールはブランデンブルク協奏曲第5番の第1楽章。これは鍵盤楽器協奏曲の草分け的存在ゆえに筋が通っている。鳴り止まぬ拍手に応えてシフが最後に弾いたのは「ゴルトベルク変奏曲」の「アリア」。そのしみじみとした調べが深く心に染み渡る。
自然に流れながらも愉悦感と味わいのある、熟した大人の音楽……佳き〝楽興の時〟を満喫した一夜。
(柴田克彦)

公演データ
アンドラーシュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカ
3月21日(金)19:00ミューザ川崎シンフォニーホール
指揮&ピアノ:アンドラーシュ・シフ
室内オーケストラ:カペラ・アンドレア・バル
プログラム
J.S.バッハ:
ピアノ協奏曲第3番ニ長調BWV1054
ピアノ協奏曲第5番ヘ短調BWV1056
ピアノ協奏曲第7番ト短調BWV1058
ピアノ協奏曲第2番ホ長調BWV1053
ピアノ協奏曲第4番イ長調BWV1055
ピアノ協奏曲第1番ニ短調BWV1052
アンコール曲
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第5番BWV1050ニ長調から第1楽章
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲BWV988からアリア
※他の公演日程やプログラムの詳細は、下記ホームページをご参照ください。
SIR ANDRÁS SCHIFF & CAPPELLA ANDREA BARCA|サー・アンドラーシュ・シフ指揮 カペラ・アンドレア・バルカ – KAJIMOTO

しばた・かつひこ
音楽マネジメント勤務を経て、フリーの音楽ライター、評論家、編集者となる。「ぶらあぼ」「ぴあクラシック」「音楽の友」「モーストリー・クラシック」等の雑誌、「毎日新聞クラシックナビ」等のWeb媒体、公演プログラム、CDブックレットへの寄稿、プログラムや冊子の編集、講演や講座など、クラシック音楽をフィールドに幅広く活動。アーティストへのインタビューも多数行っている。著書に「山本直純と小澤征爾」(朝日新書)。