作曲家の心を鋭く抉(えぐ)り出すようなヴィンセント・オンのピアノ・リサイタル
2001年生まれのヴィンセント・オンは、昨年10月に開催された第19回ショパン国際ピアノコンクールで、マレーシア人として初の入賞者となった。
今年2月に来日した際は、すべてショパンによるプログラムであったが、今回のリサイタル・ツアーでは、ショパン以外の作曲家の作品も聴くことができた。追加公演が出るほどの人気ぶりで、昨夜の東京オペラシティコンサートホール公演も早々に完売したそうだ。使用楽器は、コンクールと同じくシゲル・カワイ。
昨夜のプログラム前半は、ショパン・コンクールや前回の来日でも演奏したショパン「24の前奏曲」。24曲それぞれの性格を、豊かな音色彩と生き生きとした息遣いによって鮮やかに表現していく。前回よりもデュナーミクが大胆で、振幅の大きな感情表出が印象的である。しかし、オンの持ち味は楽譜に対する誠実さにある。当夜も作品を細部まで緻密に読み解いた演奏であった。第1番(ハ長調)における絡み合う音の綾を、オンは美しく描き分け、音楽をふくよかに創り上げる。第2番(イ短調)では、低音部において連なる音の畝(うね)を大きなフレージングでなめらかにつづり、憂いをうっすらと醸し出す。全体的に、その場ならではの臨場感にあふれ、実にドラマティックであった。
プログラム後半は、まずメンデルスゾーンの無言歌集 第8巻。淡く流れるような演奏が多いなか、オンのメンデルスゾーンには深いドラマが宿る。これまで経験したことのない、陰影に富んだメンデルスゾーンであった。オン特有の質感のある音で、フレーズを一つひとつデリケートに紡ぎ上げていく。時に、モノローグのような瞬間すら感じた。
そして、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第8番「戦争ソナタ」では、オンの持ち味でもある揺るぎない構築性が遺憾なく発揮された。プロコフィエフの他のピアノ・ソナタよりも豊かな叙情性が語られことの多い作品であるが、オンは ロマンティックな趣を留めながら、複雑に絡み合う情感にも丁寧にアプローチしていく。彼は、第2楽章のバスの動きなどにアイロニカルな表情も滲ませる。多彩にして絶妙なタッチを通して、作曲家の心を鋭く抉り出すようなオンの演奏に、激しく心を揺さぶられた。
(道下 京子)
公演データ
ヴィンセント・オン ピアノ・リサイタル
7月13日(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ピアノ:ヴィンセント・オン
プログラム
ショパン:24の前奏曲op.28
メンデルスゾーンの無言歌集 第8巻
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ第8番変ロ長調op.84
アンコール
モーツァルト:ピアノ・ソナタ第4番K.282より第1楽章アダージョ
カプースチン:8つの演奏会用エチュードOp.40より第1番プレリュード
シューマン:幻想小曲集Op.12より第1曲「夕べに」
他日公演
7月14日(火)19:00 東京オペラシティ コンサートホール
7月16日(木)19:00 ザ・シンフォニーホール
7月17日(金)19:00 電気文化会館(名古屋)
7月19日(日)14:00 FFGホール(福岡)
みちした・きょうこ
桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科卒業、埼玉大学大学院文化科学研究科修士課程修了。共著「ドイツ音楽の一断面――プフィッツナーとジャズの時代」など。「音楽の友」「ショパン」などの 音楽月刊誌や書籍、新聞、Web媒体、演奏会プログラムやCDの曲目解説など、ピアノのジャンルを中心に音楽経験を活かした執筆を行なっている。










