ミラノ・スカラ座の最新情報をお届けする。5月22日にリッカルド・シャイー指揮のヴェルディ「ナブコドノゾル(ナブッコ)」、7月9日にスペランツァ・スカップッチ指揮のドニゼッティ「ランメルモールのルチア」を鑑賞した。両公演とも注目度が高く、それにふさわしい内容だった。
管弦楽、合唱、歌手、演出のバランスが絶妙な「ナブッコ」
2017年から務めてきた音楽監督を、今シーズンかぎりで退任するシャイー。その立場で指揮する最後のオペラというだけあり、「ナブッコ」には力が入った。序曲から、前半のやわらかさと後半の急速なクライマックスの対比がすばらしい。若いヴェルディらしい血潮をみなぎらせつつも洗練され、ベルカントの名残が色濃い時期ならではの美しさも表現される。アンサンブルは緻密で、叙情的パッセージでは情感が色濃い。
そこにアルベルト・マラッツィ率いる合唱が鮮やかに加わった。統率が取れて力強く、弱音は美しく、「行け、わが想いよ、金色の翼に乘って」は、最後の音が後奏の終わるまで糸を引くように延ばされた。そしてソリストの豪華なこと。管弦楽、合唱、歌手がバランスよく絡み合い、相乗効果で「ナブッコ」の世界が大きく広がった。
歌手はミケーレ・ペルトゥージのザッカリアが、高い音楽性と高貴なフレージングを聴かせ、力強さにも事欠かない。ノーブルな歌唱が通奏低音のように、全体の演唱を引き締めてくれる。フランチェスコ・メーリのイズマエーレも輝かしい声を響き渡らせた。急速に重い役を歌うようになり、声帯への影響を心配する声も絶えないが、この日はフレージングが優雅で、力強さにも不足なく、説得力のある歌唱だった。
アンナ・ネトレプコのアビガイッレは、登場のアリアこそ少し不安定だったが、尻上がりに調子を上げ、第2幕のアリアはフレージングの洗練度が高く、カデンツァは鮮やかで圧巻だった。高音域まで輝かしい声が保たれ、ピアニッシモは美しく、技術的なレベルが半端ではない。言葉はやや不明瞭だが、この響きの言葉が犠牲になるなら仕方ない、と思わされる。
題名役のルカ・サルシもさすがの貫禄だった。レガートがもう少し美しいとヴェルディの役がさらに映える、とサルシを聴くたびに思わされるが、コントロールは適切で、強弱を自在に操りながら言葉の意味を表現できる。だから、弱点を感じつつも十分に納得させられる。
原典を尊重するシャイーらしく楽譜は批判校訂版が使われ、ほぼノーカット。カバレッタの繰り返しも省略せずに演奏され、聴き応えがあった。バレエ音楽が加えられていたが、これは1848年にブリュッセルで上演する際、ヴェルディ自身が書き加えたディヴェルティスマンだという。
アレッサンドロ・タレヴィの演出も優れ、ゲイリー・マッキャンの舞台美術を使って壮大かつ緻密に描いた。巨大な馬が引く戦車に乘ってナブッコが現れるなどスペクタキュラーだが、そこに細やかな心理描写が加わるのだ。最初と最後の場面は、ローマのパンテオンの天井を思わせるオブジェが吊るされたが、冒頭ではヒビが入っていたのが、最後には消えているなど、象徴的描写も細やかだった。
ドニゼッティの意図に沿ったフェオラの見事なルチア
「ランメルモールのルチア」は2023年にヤニス・コッコスが演出した舞台の再演。読み替えはないが描写は暗く陰鬱で、本来のドラマに合っている。このオペラは一般に思われているよりも、ルチアの孤独や精神の崩壊過程が深く描かれる。そうした本来の音楽と演出がかみ合っていた。
というのも、「ルチア」は歌劇場のレパートリーから消えた時期がない分、コロラトゥーラ・ソプラノの技巧を誇示できるように、あるいは歌手の負担が軽減されるように、改変やカットが加えられてきた。だが、この演出版では、近年成立した批判校訂版が使われている。技巧の誇示が目的の高音やカデンツァが除かれ、元来のフレーズが歌われると、ルチアの悲劇性がよりリアルに浮かび上がる。
スカップッチの指揮もそうした方向性に沿っていた。表面的な効果を排除し、時に初期のヴェルディを思わせるように音楽を情熱的に進行し、劇的な緊張感をみなぎらせる。だが、この作品に必須の優雅なフレージングも欠けていない。力強さが勝ちすぎるきらいはあったが、管弦楽にも人間の息吹を感じさせたことに拍手を送りたい。
題名役のローザ・フェオラは、芯のある声で紡ぐフレージングが圧倒的に高貴。充実した中音域でルチアの心情を、恋する少女のそれから追い詰められての狂気まで、見事に掘り下げつつ、高音Esは安定して輝かせる。狂乱の場ではグラス・ハーモニカの不気味な響きが効果的で、後世に付加されたカデンツァに頼らず、崩壊した精神の奥底を超自然的な雰囲気も湛えつつ、見事に表現した。
恋人のエドガルドを歌ったピエロ・プレッティは、端正で美しいレガートを表現。もう少しニュアンスがあればなおよかった。ライモンドのペルトゥージはいつもながらにスタイリッシュで、聖職者の役がこうして高貴だとドラマに芯が通る。一方、ルチアの兄のエンリーコのボリス・ピンカソヴィッチは、しっかりと歌っているのだが、上記の3人と音色が異なるのが気になるといえば気になった。
いずれにせよ、「ルチア」の作品感を一新しうる価値ある上演だった。
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










