マリオッティの「タンクレーディ」、カウフマンおよびデムーロの「ウェルテル」

ローマ歌劇場「タンクレーディ」より、題名役のヴィストーリ(中央)
ローマ歌劇場「タンクレーディ」より、題名役のヴィストーリ(中央) (C)Fabrizio Sansoni-teatro dell'Opera di Roma

ローマ歌劇場でミケーレ・マリオッティ指揮のロッシーニ「タンクレーディ」の初日を鑑賞したのが5月19日。続いて20日には、ナポリのサン・カルロ劇場で、ヨナス・カウフマンが題名役を歌うマスネ「ウェルテル」の初日を、24日にはふたたび同劇場で、題名役がフランチェスコ・デムーロに替わった「ウェルテル」を鑑賞した。ともに注目公演で、注目されるべき内容だった。

マリオッティが魔法のように操る「タンクレーディ」

マリオッティが振るロッシーニのオペラ・セリアには特別な意味がある。ローマ歌劇場の音楽監督である前に、ペーザロで生まれ、同郷の作曲家の音楽に馴染んで育ったマリオッティほど、ロッシーニの音楽に命を吹き込める指揮者はいない。1813年にヴェネツィアのフェニーチェ劇場で初演された「タンクレーディ」は、ロッシーニの大規模なセリアでは最初の傑作で、それが魔法のような指揮で聴けた。

序曲からフレーズにキレがあり、同時にやわらかい。体操の床運動で高度な回転をこなしながらフワッと着地するのにも似ている。またクレッシェンドは精緻かつ有機的だ。ロッシーニならではの軽やかさが保たれ、呼吸のように自然に息づきながらメリハリが効き、あふれる旋律は品格を湛えながら美しく響く。こう演奏されるとロッシーニのセリアは輝く。日本で上演されれば、ロッシーニのファンが急増するのではないか。

マリオッティの指揮下では常にそうだが、歌手がニュアンスを細やかに表現し、それが管弦楽の表情と重なり合う。また、そういう表現が可能な歌手が集められていた。

タンクレーディ(ヴィストーリ)とアメナイーデ(ルッソマンノ)
タンクレーディ(ヴィストーリ)とアメナイーデ(ルッソマンノ) (C)Fabrizio Sansoni-teatro dell'Opera di Roma

主役2人は当初の発表から変更になった。題名役はカルロ・ヴィストーリ。女声コントラルトのための役に男声を当てたことへは賛否があろうが、カウンターテナー特有の人工的な質感がない自然で豊かな響きに驚かされた。どの音域も力強く、表現は行き届き、技巧的にも万全。登場のアリアを導くレチタティーヴォから、仰向けのまま見事なメッサ・ディ・ヴォーチェを聴かせた。

題名役の騎士と相思相愛ながら翻弄されるアメナイーデ役のマルティーナ・ルッソマンノは、1998年生まれの若いソプラノで、2023年にペーザロでの若者公演「ランスへの旅」で歌ったコリンナ役が傑出していた。透明感がある声で、中音域も充実して響きに厚みがあり、装飾歌唱も鮮やか。そうした総体として役になりきれていた。

アルジーリオ(シラグーザ) (C)Fabrizio Sansoni-teatro dell'Opera di Roma

アメナイーデの父で、娘を敵対するオルバッツァーノと政略結婚させたいアルジーリオは、エネア・スカラが体調不良で、アントニーノ・シラグーザ(テノール)が急遽歌った。輝かしい音色は今年62歳とは到底思えず、アジリタも鮮やかな驚異の歌唱だった。オルバッツァーノ役のルカ・ティットート(バス)は深い声で端正に歌い上げ、イザウラ役のエカテリーヌ・ブアチゼ(メゾソプラノ)もたしかなテクニックを聴かせ、ソリストに隙がなかった。

この作品にはハッピーエンドの初演版と、悲劇として終わるフェッラーラ上演版があり、後者が選ばれていた。エマ・ダンテの演出は、シチリアで展開する物語に想を得て、シチリアの伝統的人形劇「オペラ・ディ・プィ」として描かれた。しかも、具象的な描写が、物語が進むにつれ抽象的になるという凝った描き方だった。評判も高かったが、マリオッティの指揮のもと、タンクレーディが消え入るピアニッシモで弔われるのを聴かされると、人形でないほうが悲劇は心に染みたのではないか、という思いも浮かんだ。

シチリアの人形劇に置き換えた舞台 (C)Fabrizio Sansoni-teatro dell'Opera di Roma

2人のテノールは対照的なのにどちらもウェルテルそのもの

ナポリのサン・カルロ劇場ではマスネ「ウェルテル」を、2人の題名役で鑑賞した。指揮は日本では無名だが、国際的に名声を増す30代半ばのロレンツォ・パッセリーニ。音色の細部まで注意を払い、愛と死が寄り添った耽美(たんび)的な空気を濃厚に漂わせる。また、タガが外れる一歩手前の感情の迸(ほとばし)りと抑制との間を絶えず揺れ動き、心理劇の本質を突きつつ音楽的な必然性を感じさせる。うねりながら進む音楽は情念そのもののようだ。ただ者ではない。

サン・カルロ劇場「ウェルテル」より、シャルロット(ピーヴァ)とウェルテル(デムーロ)
サン・カルロ劇場「ウェルテル」より、シャルロット(ピーヴァ)とウェルテル(デムーロ) (C)Luciano Romano-Teatro San Carlo

ウィリー・デッカーの演出もパッセリーニの音楽と相性がよかった。「ウェルテル」は18世紀末や19世紀末の特殊な感受性の申し子のように語られがちだ。しかしデッカーの演出では、抽象化された空間で登場人物が、自分では持て余す感情と道徳の間で右往左往し、この物語がいまも私たちにアクチュアルだと教えてくれる。

カウフマンは声力には以前の余裕がないとはいえ、ウェルテルの苦悩する内面に焦点を当て、こもり気味の声にやや暗めの色彩をとりどりに交える。内面から苦悩が聴こえるような歌で、練達の巧者ならではの表現だ。一方、デムーロは伸びやかな歌唱ラインが特徴で、この日も情熱的なフレージングが際立った。すると、自分の感情を隠しきれない若者に聴こえる。まったく違うタイプだが、いずれもウェルテルらしく感じられるからおもしろい。

シャルロット(ピーヴァ)とウェルテル(カウフマン) (C)Luciano Romano-Teatro San Carlo

シャルロットのカテリーナ・ピーヴァは、潤いがある声で叙情的な表現が冴える。第3幕の激しい感情表出も、心の起伏が巧みに表現された。この水準の歌唱だと、タイプが異なる2人のテノールのいずれとも相性がいい。ほかに際立ったのがソフィー役の若いデジレ・ジョーヴェで、瑞々しい美声がどの音域でも安定し、伸びやかに飛翔した。そして、すべての歌手がパッセリーニとデッカーの下、濃密な心理劇に巻き込まれた。

ソフィー(ジョーヴェ)とシャルロット(ピーヴァ)
ソフィー(ジョーヴェ)とシャルロット(ピーヴァ) (C)Luciano Romano-Teatro San Carlo
Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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