急速に「作曲家の意図」に忠実になりつつあるオペラ界

「エルナーニ」より、左からエルヴィーラ役のアナスタシア・バルトリ、ドン・カルロ役のエルネスト・ペッティ、シルヴァ役のミケーレ・ペルトゥージ、手前がエルナーニ役のピエロ・プレッティ=2023年3月 フェニーチェ劇場 (C)Silvestri-Teatro la Fenice
「エルナーニ」より、左からエルヴィーラ役のアナスタシア・バルトリ、ドン・カルロ役のエルネスト・ペッティ、シルヴァ役のミケーレ・ペルトゥージ、手前がエルナーニ役のピエロ・プレッティ=2023年3月 フェニーチェ劇場 (C)Silvestri-Teatro la Fenice

今回はいつもと趣向を変えて、最近のヨーロッパにおけるオペラ上演について、ひとつの傾向を考えてみたい。具体的には原典の尊重についてである。じつはこの連載でリポートした公演も、批判校訂版(クリティカル・エディション)のスコアが使われるなど、これまで以上に、作曲家の意図に忠実であろうとしたものの比率が高まっている。

とくにイタリア・オペラは、上演頻度が高い人気作品ほど、時代ごとの歌手の傾向や流行に左右され、現場で改変されたスコアが劇場の慣習として定着しているケースが多い。アリアで同じ旋律が繰り返される場合はカットするのは序の口で、歌手が見せ場をつくれるように高音が付加され、テクニックが要る技巧的カデンツァはカットされ、指定はピアニッシモなのにあえてフォルテで歌う、なんていう箇所もある。概して歌手は一本調子で歌い、管弦楽も歌に合わせるように、平板に奏されることが多かった。

20世紀半ばごろがよく「オペラの黄金時代」といわれる。たしかに、立派な歌手は多かったが、原典尊重という観点から振り返ると無法地帯のようであった。その後、原典志向は時間をかけて高まっていき、コロナ禍を経て一気に開花した感がある。

洗い流されるヴェルディの手あか

コロナ収束後、はじめて海外で接した舞台は2023年3月、ナポリでのヴェルディ「マクベス」(演奏会形式)だったが、指揮のマルコ・アルミリアートはオーケストラのデュナーミクを、ドラマに沿って大きく取り、題名役のルカ・サルシは頻繁に弱音で表現した。第4幕のマクベスのアリアで、一般的な「Pietà, rispetto, amore 哀れみ、尊敬、愛」ではなく、「Pietà, rispetto, onore 哀れみ、尊敬、名誉」と歌われたことからも、批判校訂版に忠実な演奏であるのが明らかだった。

「マクベス」より、マクベス役のルカ・サルシとマクベス夫人役のソンドラ・ラドヴァノフスキ。指揮台上はマルコ・アルミリアート=2023年3月 ポリテアマ劇場 (C)L.Romano-Taetro San Carlo
「マクベス」より、マクベス役のルカ・サルシとマクベス夫人役のソンドラ・ラドヴァノフスキ。指揮台上はマルコ・アルミリアート=2023年3月 ポリテアマ劇場 (C)L.Romano-Taetro San Carlo

同じ時期にヴェネツィアのフェニーチェ劇場で上演されたヴェルディ「エルナーニ」も、リッカルド・フリッツァが、初期ヴェルディのシンプルなオーケストレーションに物語を豊かに表現させ、通常はカットされることが多いカバレッタの繰り返しなども、省略せずに演奏された。これも批判校訂版をベースに、ヴェルディの意図に立ち返った公演だったと考えられる。

ヴェルディの批評校訂版スコアは、1980年代から米シカゴ大学出版局と伊リコルディが共同で出版を進めている。古典期やバロック時代のオペラの復興が進むにつれ、ロマン派の作品も、長年上塗られた手あかや塗装を洗い流すことがまず学術の方面から提起され、ここにきて演奏現場に急激に広がりを見せている、ということだと思う。

2023年4月にパレルモのマッシモ劇場で鑑賞したベッリーニ「ノルマ」も鮮烈だった。マリーナ・レベカが題名役をじつに高貴に歌ったが、同様に印象的だったのは、まだ32歳だった指揮のロレンツォ・パッセリーニが、新国立劇場の大野和士芸術監督が常日ごろ「単純すぎて奏者がやる気をなくす」と指摘するオーケストレーションから、きわめて多彩に情報を引き出したことだった。

しかも、ほぼノーカットで、アリアでも重唱でも、同じ旋律を繰り返す際はバリエーションを付加させていた。繰り返す際に歌手が変奏するのは、バロック・オペラの専売特許ではなく、初期ロマン派の時代にも行われていたことだ。翌年、パッセリーニに尋ねると、2023年春は批判校訂版の総譜が刊行前だったが、刊行前のものを特別に入手し、そのエッセンスを再現したと語っていた。

「ノルマ」より、ポッリオーネ役のディミトリー・コルチャックとノルマ役のマリーナ・レベカ=2023年4月 パレルモ マッシモ劇場 (C)Rosellina Garbo-Teatro Massimo Palermo
「ノルマ」より、ポッリオーネ役のディミトリー・コルチャックとノルマ役のマリーナ・レベカ=2023年4月 パレルモ マッシモ劇場 (C)Rosellina Garbo-Teatro Massimo Palermo

ルチアに必要なのはカデンツァより劇的な歌唱

これも2023年4月、ミラノ・スカラ座で音楽監督のリッカルド・シャイーが、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」を、批判校訂版を使い、ほぼノーカットで上演した。このオペラは、ある時期からソプラノ・レッジェーロが技量をひけらかす作品と認識され、演奏現場で多くの手が加えられてきた。「狂乱の場」でのフルートの序奏がつくカデンツァが典型で、リコルディ刊のスコア自体、調性をはじめドニゼッティが書いたものとかなり違っている。

この日は、第1幕のルチアのアリアから、聴き慣れないフレーズが多く、カバレッタも随所で慣用版と音が異なっていた。「狂乱の場」ではドニゼッティが望んだグラス・ハーモニカが使われたが、それが助走するカデンツァはなかった。むろん、ないほうがルチアの壊れた精神が深掘りされる。ルチアに必要なのはカデンツァより、リセット・オロペサの美しくも劇的な歌唱だった。

「ランメルモールのルチア」より、ルチアの狂乱の場を歌うリセット・オロペサ=2023年4月 ミラノ・スカラ座 (C)Brescia e Amisano-Teatro alla Scala
「ランメルモールのルチア」より、ルチアの狂乱の場を歌うリセット・オロペサ=2023年4月 ミラノ・スカラ座 (C)Brescia e Amisano-Teatro alla Scala

こうした流れが、ますます強まっており、今年2~3月、新国立劇場のヴェルディ「リゴレット」も、イタリア人指揮者のダニエーレ・カッレガーリがこだわって、批判校訂版のスコアを使い、慣習的なカットや高音などをすべて排して楽譜通りに演奏した。するとリゴレット自体、かなり内省的な人物像に変化する。

いま世界のオペラの潮流は、演出を抜きにして音楽面にかぎれば、原典回帰の方向に着実に進み、作曲家がねらった方向で音楽とドラマが再構築されようとしている。

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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