カーチュン・ウォン指揮 日本フィル定期 マーラー交響曲第9番

新世代のマーラー交響曲第9番ともいうべき見事な演奏を披露したカーチュン・ウォン&日本フィル

日本フィルハーモニー交響楽団の東京定期演奏会に同団首席指揮者のカーチュン・ウォンが登壇。このコンビがすすめているマーラー・シリーズの第4弾として、交響曲第9番が演奏された。1986年生まれのウォンは、2016年のグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールの優勝者であり、いうまでもなくマーラー作品への思い入れが深い。

マーラーに深い思い入れを持つカーチュン・ウォン ©山口敦/日本フィル提供
マーラーに深い思い入れを持つカーチュン・ウォン ©山口敦/日本フィル提供

交響曲第9番は、マーラーが完成した最後の交響曲であり、彼の死と結びつけて聴かれることが多いが、ウォンの指揮する第9番は、決して枯れていないし、よく歌い、スケールも大きい。第1楽章から、聴きやすくバランスを取るというよりも、作品のポリフォニックな書法を際立たせ、様々な音色や音量のグラデーションを使い分けているので、いろいろな音が聴こえてくる。ウォンは重要と思われる音を強調し、きれいにまとめたりはしないが、日本フィルが高いレベルで応え、決して粗雑な演奏にはならない。
第2楽章では、ウォンの諧謔的表現が素晴らしい。途中の急速なワルツの部分では、足踏みのような仕草でオーケストラに音楽を伝える。激しさと束の間の平安とのコントラスト。第3楽章は速めのテンポで推進力がある。そのスピード感が見事に決まる。
第4楽章、ウォンは棒を置き、素手でオーケストラを指揮した。起伏や強弱の幅の広い表現。この夜、最も感動的であったのは、マーラーの情熱がたっぷりと歌われる56小節目から。雄弁な弦楽器群からマーラーの人間的な温かみがこれまでになく豊かに伝わってきた。ヴィオラの安達真理やチェロの門脇大樹のソロが秀逸。最後は枯淡になることなく、消え入るような弱音で締め括られた。そして長い沈黙。

多彩な仕草で目指す曲想をオケに伝えるウォン ©山口敦/日本フィル提供
多彩な仕草で目指す曲想をオケに伝えるウォン ©山口敦/日本フィル提供

最晩年のマーラーは、ニューヨークで精力的な指揮活動を行っていたが、1911年に、連鎖球菌の感染症のため、交響曲第10番を完成させることなく急逝してしまう。近年、交響曲第9番は、必ずしも心臓疾患を患ったマーラーが「死」を覚悟して書いた作品であるというわけではない、といわれている。交響曲第2番「復活」や天国の生活を扱った交響曲第4番をあげるまでもなく、「死」はマーラーの終生の創作のテーマであった。もちろん、交響曲第9番も「死」を意識した作品に違いないが、最早、演奏においてそれを前面に押し出す必要はないだろう。それよりも、50歳直前のマーラーの情熱や創作の充実ぶりを描き出すことの方が作品の本質に近づけるのではないか。カーチュン・ウォン&日本フィルの演奏はそんなことを考えさせられた新世代のマーラー交響曲第9番であった。

ウォンの要求に見事に応えて新世代のマーラー像を創出した日本フィル ©山口敦/日本フィル提供
ウォンの要求に見事に応えて新世代のマーラー像を創出した日本フィル ©山口敦/日本フィル提供

(山田治生)

公演データ

日本フィルハーモニー交響楽団 第760回東京定期演奏会
5月10日(金)19:00 サントリーホール

指揮:カーチュン・ウォン(日本フィル首席指揮者)
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:田野倉 雅秋

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山田 治生

やまだ・はるお

音楽評論家。1964年、京都市生まれ。87年、慶応義塾大学経済学部卒業。90年から音楽に関する執筆を行っている。著書に、小澤征爾の評伝である「音楽の旅人」「トスカニーニ」「いまどきのクラシック音楽の愉しみ方」、編著書に「オペラガイド130選」「戦後のオペラ」「バロック・オペラ」などがある。

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