英ロイヤル・オペラの「連隊の娘」「ラ・ボエーム」「清教徒」

「連帯の娘」より、マリー(ブランク)とトニオ(フローレス)
「連帯の娘」より、マリー(ブランク)とトニオ(フローレス) (C)2026 Tristram Kenton

ロンドンに3日間滞在し、ロイヤル・オペラ・ハウスで4公演を鑑賞した。7月10日にイヴ・アベル指揮のドニゼッティ「連隊の娘」、11日ロレンツォ・パッセリーニ指揮の「ラ・ボエーム」を異なるキャストで2公演、12日リッカルド・フリッツァの指揮でベッリーニ「清教徒」である。いずれも紛れもない「一流の公演」だった。

フローレスとブランクの理想的な「連隊の娘」

「連隊の娘」は軽快で明るいオペラ・コミック(フランスの台詞入りオペラ)に、人間の真情や深い哀感が込められ、同時に気品も漂う。作品のそんな美質が存分に表現された。アベルの指揮が実にニュアンスに富んでいた。冗漫になりがちな音楽が、背筋を伸ばしたように引き締まり、小気味よく進行しながら、表情はすこぶる豊かだった。

このオペラの定番といえるロラン・ペリーの演出は、音楽に寄り添いながらファンタジーにあふれ、笑いをとりながら要所で真摯な心の交錯が描かれる。だから歌手の演技力が必須だが、みな歌唱が傑出しつつ演技巧者だった。

アリアの場面でのトニオ(フローレス)
アリアの場面でのトニオ(フローレス) (C)2026 Tristram Kenton

トニオのフアン・ディエゴ・フローレスは非の打ち所がない。昨年10月にスカラ座で聴いたときより、声は伸びやかで余裕があった。第1幕のアリアでの9回のハイCも無理がなく、第2幕でマリーへの愛情を伝えるロマンスは、色彩をからめて表現される情感の深みがさらに増している。53歳にして驚異の歌唱だった。フローレスに一歩も引かなかったのがマリーのサラ・ブランク。連隊育ちの野卑な娘らしさをどんなに出しても歌唱フォームは崩れず、美声をたくみに操りながら、ここぞという場面で深い情感を湛えた。1幕終わりの別れを告げるアリアでは、哀切さが強くにじみ出て心を撃たれた。

連隊の軍曹シュルピスは、新国立劇場「イタリアのトルコ人」でヒロインの夫役を演じるパオロ・ボルドーニャで、声の質量が以前より増しながら、相変わらずの演技巧者。ベルケンフィールド侯爵夫人は、かつて日本で数々の娘役を披露したソニア・ガナッシ。時の流れを感じさせられたが、品格は失われていない。

マリー(ブランク)、トニオ(フローレス)、シュルピス(ボルドーニャ)
マリー(ブランク)、トニオ(フローレス)、シュルピス(ボルドーニャ) (C)2026 Tristram Kenton

パッセリーニのすぐれた指揮で2つの「ラ・ボエーム」

「ラ・ボエーム」はパッセリーニの指揮が冴えた。細やかなアーティキュレーションにより細部まで表情豊かで、音楽全体は活気に満ちている。テンポをかなり変化させるが、常にドラマとの整合性がとれている。30代半ばだが欧州の主要歌劇場を席巻しており、記憶する価値がある名だ。

リチャード・ジョーンズの演出は、オーソドックスでいて、考え抜いて少し変えたのであろう細部がおもしろい。たとえば、ロドルフォが鍵を見つけたことにミミはすぐ気づき、取り返そうとしてロドルフォの手に触れるのだ。また、場面転換の際に幕が下ろされず、第1幕でパリの街並みの屋根に見えた装置が、ひっくり返されカルチェラタンの華麗なアーケードになるなど、見せ方も鮮やかだった。

「ラ・ボエーム」夜公演より、ロドルフォ(デ・トマーゾ)とミミ(グリゴリアン) (C)2026 Ian Hippolyte

マチネはミミがフラチュヒ・バッセンツ。少し影を帯びた叙情的な声がいかにもミミらしい。6月に日本で「トスカ」に出演したステファン・ポップがロドルフォで、彼の声は力強いが同時にやわらかいので、ロドルフォが適役だと気づかされる。デュナーミクが巧みで、随所で弱音が映え心の襞(ひだ)が写実される。マルチェッロのジェルマン・アルカンタラも安定した声で表現がきめ細かく、コッリーネのジョルジ・マノシュヴィリはとても端正な歌唱。ムゼッタのルース・イニエスタもまずまず。それぞれの声のバランスがよく、パッセリーニの指揮がいっそう冴えた。

夜の公演でミミを歌ったのはジュリアナ・グリゴリアン。歌唱スケールが大きいのに緻密で、世界を席巻しつつある理由がわかる。可憐さよりも気の強さが勝る感もあったが、ロドルフォのフレディ・デ・トマーゾとのバランスはよかった。このテノールはロブストな声で、どうしても旋律が力を帯びすぎてしまい、カヴァラドッシやカラフのほうがしっくりくる。むろん、2人とも一流であることはよく伝わる。

一方、東京でムーティ指揮「ドン・ジョヴァンニ」の題名役を歌ったルカ・ミケレッティのマルチェッロは理想的で、力強い声に品位があり、音楽的かつ演劇的だ。コッリーネのジャンルーカ・ブラットもハッとさせられるほど立派な声で、表情も豊か。ムゼッタのマリーナ・モンゾもエレガントで美しい歌唱に「はっちゃけた」ニュアンスが融合し、これを超えるムゼッタは想像できない。

ムゼッタ(モンゾ)、マルチェッロ(ミケレッティ)、ロドルフォ(デ・トマーゾ)、ミミ(グリゴリアン) (C)2026 Ian Hippolyte

オロペサ、デムーロの超ハイレベルの「清教徒」

「清教徒」はフリッツァの指揮がスクウェアに引き締まり、旋律美が活かされながら終始、気品が漂う。批判校訂版かとも思ったが、指揮者に聞くと、慣用版をほぼノーカットで演奏したとのことだった。リチャード・ジョーンズの演出では、エルヴィーラが心理的に圧迫される過程が強調され、ゴシックの尖塔アーチが圧力の象徴だと感じられた。全体に暗めだが、音楽を邪魔しないのがいい。

エルヴィーラのリセット・オロペサは、自然な発声に無限のニュアンスを加え、柔軟に強弱をつけながら旋律を変幻自在に織り成す。小さな体で無理なく自在に歌えるのは、横隔膜による支えがよほどしっかりしているのだと改めて感じた。視覚的にもエルヴィーラが憑依しているようで、第2幕の狂乱は技巧の先にある深い感情表現に涙を誘われた。

「清教徒」より、エルヴィーラ(オロペサ)とアルトゥーロ(デムーロ)
「清教徒」より、エルヴィーラ(オロペサ)とアルトゥーロ(デムーロ)(C)2026 Tristram Kenton

アルトゥーロはフランチェスコ・デムーロ。このテノールのレガートは、ベッリーニの演奏で理想とされる端正で木目が細かいものと異なるが、やわらかく情熱的なレガートには代えがたい魅力がある。高音に難所が多い役だが、最初のアリアからCisの力強い輝かしさに驚かされた。パッサッジョ(声区の転換)がきわめてスムーズなのだ。第3幕の二重唱などのDも燦然と輝き、最後に記譜されたFも頭声を交えながらしっかり響かせた。

ジョルジョのイルデブランド・ダルカンジェロも、端正で品位あふれる歌唱。リッカルドのアンジェイ・フィロンチクはベッリーニのスタイルと少々違うと思われた。だが、この難しい作品がノーカットで演奏されながらこの水準が維持されるのは、稀有なことだと思う。

ジョルジョ(ダルカンジェロ)とエルヴィーラ(オロペサ)
ジョルジョ(ダルカンジェロ)とエルヴィーラ(オロペサ) (C)2026 Tristram Kenton
Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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