「ニーベルングの指環」音楽面を考察~バイロイト音楽祭2023 リポート4-②

バイロイト音楽祭(祝祭)のリポート第2回は「ニーベルングの指環(リング)」(ピエタリ・インキネン指揮、ヴァレンティン・シュヴァルツ演出)の音楽面について報告する。(宮嶋 極)

 

最初に指揮者について。結論から言うとインキネンは健闘していたと評価したい。特に音楽が交響詩のように進行していく「ラインの黄金」のような作品では、彼の正攻法で丁寧な音楽作りが多くの聴衆に好感を持って受け止められたようだ。大仰な表現は一切なく、譜面を忠実に再現しようとするしごくまっとうな解釈であった。こうしたインキネンの音楽作りに終演後のカーテンコールでは盛大な喝采が送られていた。

正攻法な音楽作りで好評を博したピエタリ・インキネン (C)Mechthild Schneider
正攻法な音楽作りで好評を博したピエタリ・インキネン (C)Mechthild Schneider

その一方で「ワルキューレ」第2幕からのように、歌というよりは言葉と音楽が密接に絡み合っていく楽劇的な要素が強まるにつれて、音楽運びの主導権がイタリア・オペラのごとく歌手に握られてしまっている場面が散見された。特に「ワルキューレ」におけるヴォータン役のトマズ・コニエチュニー、「ジークフリート」でのアンドレアス・シャーガー(題名役)がソロで歌う場面ではそれが顕著に表れていた。

 

例えば「ジークフリート」第1幕第3場、ジークフリートが無敵の切れ味を持つ剣ノートゥングを鍛え直す場面。舞台上ではシュヴァルツの読み替え演出のため台本とはまったく関係のない芝居が繰り広げられているのだが、音楽では恐れを知らぬ無敵の英雄ジークフリートが未知の世界へと飛び出していくのを前に圧倒的なパワーを誇示し、強い推進力が求められる場面である。シャーガーは素晴らしい声をタップリと響かせたいのか、長い音符を必要以上に伸ばし、テンポを引っ張る。オケだけになるとインキネンは少しテンポを速めて回復に努めるのだが、シャーガーが再び入ってくるとブレーキがかかる。ワーグナーがこの場面の音楽に託したジークフリートのキャラクターの面白さが半減したように感じた。現代を代表する百戦錬磨のワーグナー歌手たち相手のことだけに仕方ない面があるものの、オケの内部からは「インキネンはもう少し自分を前面に出しても良かったのではないか」との声も聞こえてきた。

客席からはまったく見えないバイロイト祝祭劇場のオケ・ピット、神秘の奈落と呼ばれる (C)Bayreuther Festspiele
客席からはまったく見えないバイロイト祝祭劇場のオケ・ピット、神秘の奈落と呼ばれる (C)Bayreuther Festspiele

さらに幕間では40年以上バイロイトに通うワグネリアンたちが「キリル・ペトレンコやクリスティアン・ティーレマンが指揮した時はああしたことは起こらなかった」と語り合っていた。インキネンの健闘には拍手を送りたいが、ワグネリアンたちの意見にもうなずける面もある。

 

確かにここ十数年の間に「リング」を指揮したティーレマン(2006~10年)、ペトレンコ(13~15年)、マレク・ヤノフスキ(16~17年)のように指揮者が強いリーダーシップを発揮する形でオケ、歌手、合唱(神々の黄昏のみ)が混然一体となった楽劇ならではの濃密な音楽空間が創出されるには至らなかったのも事実である。

 

次に歌手について。前述のシャーガーは指揮者やオケとの協調という面では前述の通り不満を残したものの、今の時点で彼ほどヘルデン・テノールに相応しい輝かしく力強い声を出せる人は世界中見渡してもそういないだろう。今年の新プロダクションである「パルジファル」の題名役も務めていることから、そのパワーとスタミナは並大抵のものではない。同じくコニエチュニーも重めの声を駆使した重厚な表現は聴き応え十分であった。

ジークフリート役で現代を代表するヘルデン・テノールとしての実力を示したアンドレアス・シャーガー (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
ジークフリート役で現代を代表するヘルデン・テノールとしての実力を示したアンドレアス・シャーガー (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

今回の「リング」の歌手の中で筆者が一番感心したのは「ワルキューレ」と「神々の黄昏」でブリュンヒルデを演じたキャサリーン・フォスターである。彼女はバイロイトでは13年から今年まで「ワルキューレ」の単独上演も含めてほとんどの公演でブリュンヒルデを歌っている(昨年は除く)。10年前はやや荒削りな面もあったが、今は繊細さとダイナミックさを兼ね備えた多彩な表現が見事で、迫真の演技と併せて堂々たる存在感を示した。バイロイトは若い歌手にチャンスを与え、その時代を代表するワーグナー歌いに育ててきた歴史もある。彼女はその好例である。

バイロイトにデビューして10年、堂々たる歌唱と演技で存在感を示したブリュンヒルデ役のキャサリーン・フォスター (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
バイロイトにデビューして10年、堂々たる歌唱と演技で存在感を示したブリュンヒルデ役のキャサリーン・フォスター (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

ジークムントを演じたクラウス・フロリアン・フォークトもそうしたひとりである。07年、「マイスタージンガー」のヴァルターでバイロイト・デビューを成功させて以降、毎年出演を続け、さまざまな役に挑戦。今年は声質が太く変化したのに合わせてヘルデン・テノールの役であるジークムントで力強い歌唱を聴かせ好評を博した。来年はいよいよジークフリートを演じることが決まっている。

 

さらに「ジークフリート」のみブリュンヒルデを演じたダニエラ・ケーラーも今後の〝育成候補〟のひとりと期待されるポテンシャルを示した。

来年はジークフリートに挑戦するクラウス・フロリアン・フォークト (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
来年はジークフリートに挑戦するクラウス・フロリアン・フォークト (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

ほかにも触れたい歌手は多数いるが、既に字数オーバー。好印象を残した歌手と役名のみ列記しておきたい。エリーザベト・タイゲ(ジークリンデ)、クリスタ・マイヤー(フリッカ、ヴァルトラウテ)、ゲオルク・ツェペンフェルト(フンディング)、オラフール・ジーグルダルソン(アルベリヒ)、ミカ・カレズ(ハーゲン)、いずれも求められる水準を十分に満たした歌唱と演技で終演後に盛大な喝采を集めていた。こうした歌手の顔ぶれ、やはりバイロイトである。

☆公演データは下記からご覧ください。

バイロイト音楽祭2023レポート 公演データ一覧

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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