日本初披露となった注目のトリオ!アルゲリッチが心の優しさと懐の深さをみせる
第26回を数える別府アルゲリッチ音楽祭、マルタ・アルゲリッチの演奏は東京での室内楽コンサートで始まった。50年以上も共演を重ねるチェロのミッシャ・マイスキーに加えて、少なくとも日本では初めての顔合わせとなるヴァイオリンのジャニーヌ・ヤンセンとのデュオとトリオが組まれたのが大きく注目された。今年85歳になるピアニストの技巧や胆力は変わらず、心の優しさと懐の深さがいつにも増して際立った演奏会となった。
コンサート前半のデュオはいずれもベートーヴェン。まずはマイスキーとト短調ソナタOp.5-2というお馴染みのレパートリーを。ときどきの心の向かう先を仲の良い姉弟のように理解しつつ、即興的に啓発し合おうとするのがふたりのデュオの魅力だ。かつてのように劇的な覇気が現れない分、マイスキーのチェロが影のように寄り添う存在感とはなったが、アルゲリッチの抑制した表現と親密な対話を織りなしていった。
ヤンセンとイ長調Op.47の大作ソナタに臨むと、表情を明転させつつ、アルゲリッチのピアノも生気と瑞々しさを増していった。ヤンセンのヴァイオリンに関して言うと、確実な技術に支えられた、穏和で満ち足りた美麗な表現を私は敬愛してきたが、ここでは大きく身体を揺らしつつ、果敢な表情づけでアルゲリッチに対していった (先立つ19日、パーヴォ・ヤルヴィ指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団とのブラームスでもアグレッシヴに切り込む姿勢を焚(た)きつけてみせたから、アルゲリッチとの共演だからというだけはないかもしれず、なにかしら自身の枠を押し開こうとしている時期なのかもしれない)。それでも明朗な美麗さを失わず、器用な技巧を保っているのは流石(さすが)である。
アルゲリッチは新たな共演者への気づかいというか遠慮もみせていたようだが、言ってみればそうして我を張らないときの彼女のピアノの余裕をもった表現には比類ない優美さが宿る。とくに中間楽章の諸変奏をひらくピアノの繊細な表情づけと変化は絶妙だった。
そして、ショスタコーヴィチの第2トリオ、ホ短調Op.67になると、深い悲哀の色調が色濃いなか、時代の現実もよく知るマイスキーのチェロが感情の真実を強く切実に歌った。アルゲリッチのピアノはそれにぴったりと共鳴しながら、機敏で才気煥発(かんぱつ)で作品の生命感の側面には大きく寄与しつつも、その意味ではどうしても精神的な距離も出ずるヤンセンのヴァイオリンへの配慮も濃(こま)やかにみせた。
なんと言っても圧倒的だったのは、スケルツォをシニカルに疾走した後、パッサカリアで、ユダヤ的な弦の旋律に先立ち、ピアノがソロで打ち建てる和音の積み重ねだ。重たく冷厳に打ち据えられる透徹した和音の柱のなかに、悲哀や憐憫(れんびん)を超えた、慈愛にも近い共苦の心を打ち震わせて圧巻だった。終楽章でのその再現の精妙さがまた水際立っていた。
アンコールのシューベルトのリートでは、アルゲリッチの息を呑(の)むピアノの繊細さに導かれつつ、先述したようなヤンセンの優美な麗しさが映え、ついでマイスキーのナイーヴな歌心が柔らかに響いた。さらに、ハイドンの「ジプシー風ロンド」の快活さと生彩が、幸福のうちに駆けぬけて、この出会いの一夜を結んだのも、アルゲリッチの人々への優しさの発露だろう。
(青澤隆明)
公演データ
第26回別府アルゲリッチ音楽祭 日本生命presentsピノキオ支援コンサート
ベスト・オブ・ベストシリーズ Vol.10 室内楽コンサート
5月23日(土)18:00すみだトリフォニーホール 大ホール
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
チェロ:ミッシャ・マイスキー
ヴァイオリン:ジャニーヌ・ヤンセン
プログラム
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ 第2番 ト短調Op.5-2
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ 第9番 イ長調Op.47「クロイツェル」
ショスタコーヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 ホ短調Op.67
アンコール
シューベルト:君こそわが憩いOp.59-3 D776
ハイドン:ピアノ三重奏曲 第39番 ト長調Hob.XV:25「ジプシー」から第3楽章
あおさわ・たかあきら
音楽評論家。東京外国語大学英米語学科卒。クラシック音楽を中心に、評論、エッセイ、解説、インタビューなどを執筆。主な著書に「現代のピアニスト30ーアリアと変奏」(ちくま新書)、ヴァレリー・アファナシエフとの「ピアニストは語る」(講談社現代新書)、「ピアニストを生きるー清水和音の思想」(音楽之友社)。










