ベルカントの技巧に依拠した真摯な愛の物語
「愛の妙薬」の演奏は難しい。オペラ・ブッファ(喜歌劇)の代表のようで、その実、ブッファの定型から逸脱したロマン主義的な牧歌劇だからである。特にネモリーノとアディーナのパートは、旋律に人間の真情が深く刻まれている。それをブッファ風に味つけた演奏もあるが、それでは作品のバランスが崩れてしまう。
マルコ・グイダリーニ(主催者表記:マルコ・ギダリーニ)の指揮は、そこのバランスが絶妙だった。ドゥルカマーラを中心とする喜劇的人物がドラマを先へと進め、随所で流麗な、時に哀愁を帯びた旋律がたっぷり歌われる。こうして「笑い」に支えられながら「愛」がしっかり描写されたので、よい演奏を聴いた満足感に浸ることができた。
具体的に述べよう。バッソ・ブッフォ(バリトンを含む喜劇的な低声)の第一人者マルコ・フィリッポ・ロマーノが、ドゥルカマーラを歌った効果は大きかった。言葉が際立って旋律に深い意味を刻み、多様な色彩がアクセントとして加わる。アクが強すぎて品位が失われてもだめな役で、さじ加減の上手さに唸(うな)らされた。
このイカサマ薬売りは、実際、主役2人の愛を成就させる役なので、ドラマをぐいぐい推し進めるが、ほかの役は案外真摯(しんし)である。そのなかで半分は滑稽なのがベルコーレで、シモーネ・アルベルギーニは、かつての流麗な歌唱にくらべると、女好きの伊達男らしさには若干欠けたが、うまさがある。
しかし、このオペラが描くのは、なんといっても恋人たちの愛の成就で、ドニゼッティは2人に深く共感して音楽を書いている。それをネモリーノ役のマッテオ・デソーレとアディーナ役のフランチェスカ・ピア・ヴィターレがよく表現した。
デソーレは、第1幕冒頭のアリアは力が入りすぎたが、初日の冒頭だからかもしれない。尻上がりに調子を上げ、第1幕フィナーレで、アディーナがベルコーレと結婚するのを阻止しようとして歌う「アディーナ、信じておくれ」は、ネモリーノにぴったりの柔らかい声に哀感を漂わせ、真摯な感情を表出させた。そして第2幕のアリア「人知れぬ涙」はレガートが洗練され、高貴にさえ聴こえた。ここで「高貴だ」と思わせることこそドニゼッティのねらいで、それが達成された。
ピア・ヴィターレはネモリーノの「信じておくれ」を受け、ベルコーレに向かって「彼を許してあげて」と、ネモリーノと同じ旋律を、同じ調子で歌った。あえて「同じ調子」で歌うことで、ネモリーノとの愛の成就を予感させる。指揮者の指示だろうか、手が込んだ芸だと感じた。彼女は透明な声が魅力的で、ベルカントの技巧を正しく使いながら、旋律に感情を織り込む。「人知れぬ涙」に続いて歌われる「おとりなさい」も、メッサ・ディ・ヴォーチェ(小さい音から徐々にクレッシェンドし、続いてディミヌエンドする技法)から入り、ベルカントのテクニックにこだわりながら心情を表現した。
喜歌劇の皮をかぶった、その実、ベルカントの技巧に依拠した真摯な愛の物語――。そういうものとして掘り下げられると、「愛の妙薬」は底力を発揮する。これはそういう公演だった。主役4人の言葉がみな美しく、響きの方向性が重なったことも演奏の質を担保した。
(香原斗志)
公演データ
新国立劇場 2025/2026シーズンオペラ
ガエターノ・ドニゼッティ「愛の妙薬」
5月16日(土)14:00新国立劇場 オペラパレス
指揮:マルコ・ギダリーニ
演出:チェーザレ・リエヴィ
美術:ルイジ・ペーレゴ
衣裳:マリーナ・ルクサルド
照明:立田雄士
アディーナ:フランチェスカ・ピア・ヴィターレ
ネモリーノ:マッテオ・デソーレ
ベルコーレ:シモーネ・アルベルギーニ
ドゥルカマーラ:マルコ・フィリッポ・ロマーノ
ジャンネッタ:今野沙知恵
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
プログラム
ガエターノ・ドニゼッティ:オペラ「愛の妙薬」
全2幕(イタリア語上演/日本語及び英語字幕付)
他日公演
5月20日(水)19:00、23日(土)14:00、27日(水)14:00
新国立劇場 オペラパレス
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










