<第45回>マキシム・ミロノフ(テノール)

マキシム・ミロノフ
マキシム・ミロノフ

19世紀前半を席巻した優美な歌唱
その洗練美を再現できる世界に唯一無二のテノール

19世紀前半までの「ベルカント」の時代の歌唱法は、長く忘れ去られた末、20世紀終盤に復興し、いまや花盛りの感を呈している。だが、過去に戻らない、いや、戻れない点もある。その代表がテノールの高音である。

 

1830年代にジルベール=ルイ・デュプレがロッシーニ「ギヨーム・テル」のアルノール役で、ハイCを胸声で響かせて聴衆の喝采を浴びるまでは、AやBより上の高音はファルセットや頭声で出すのが一般的で、超高音とは柔らかく優美に響かせるべきものだった。しかし、デュプレの挑戦以降、聴衆も高音に力強さと輝かしさを求めるようになり、優美な高音は廃れてしまった。

 

ベルカントの歌唱法の復興が進んでからも、その点はいまなお復興しない。たとえば、フアン・ディエゴ・フローレスは卓越したテノールで、胸がすく高音には抗しがたい魅力がある。だが、ロッシーニやベッリーニの役の場合、初演当時、それらの音はフローレスの出す響きと異なり、もっと柔らかく歌われていた。

 

そんな失われた音をいま再現しているのがマキシム・ミロノフである。

 

洗練をきわめたフレージングはこのうえなく優美で、鮮やかな装飾歌唱も切れ味を失わないままエレガントだ。そして超高音。ハイC以上の音を胸声で響かせることは、じつはミロノフにとってはたやすいが、あえてそこにファルセットや頭声を適度に交え、柔らかさを担保する。

 

19世紀前半の録音が存在しない以上、それが往時と同じ響きであると断定することはできないが、ロッシーニやベッリーニが聴いたら、「これだ!」と快哉(かいさい)を叫ぶのではないだろうか。ミロノフが放つ音には、こうしてくまなく優美さが行き渡り、聴き手は「ベルカント(美しい歌)」の字義を深く理解させられる。

聴き手の心を激しく揺さぶる洗練された音楽美

19世紀前半、テノールは大きく二つの系統に別れていた。一つが優美な「テノーレ・ディ・グラーツィア」、もう一つはバリトンのような力強い声を兼ね備えた「バリ・テノーレ」である。いうまでもなくミロノフは前者であり、往年の「テノーレ・ディ・グラーツィア」を再現できる世界でも唯一のテノールではないだろうか。その点でミロノフには、「優秀なテノール」という語だけでは表せない唯一無二の価値がある。

 

この特徴は、新国立劇場で2016年に歌った「セビリャの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵、2019年に披露した「ドン・パスクワーレ」のエルネストにも見られたが、近年の進化が著しい。一般には、年齢やキャリアを重ねるほど声は重くなるが、ミロノフにかぎっては柔らかさ、ひいては優美さが増している。彼自身、「年を取るのは最悪だ、といまでも信じている」と語るが、現実にみずみずしさをいつまでもたもてるのは、あるべき歌唱の姿を明確に描ける知性と、理想をかたちにできる卓越したテクニックを備えているからである。

 

ここまでミロノフの歌の「美しさ」を強調してきたが、本物の「美しさ」はたんなる「美」を超える。洗練をきわめた音楽美は、魂を宿した言葉とともに聴く者の感情を激しく揺さぶる。それがベルカントの力であり、ミロノフの歌唱の醍醐味である。

 

2024年2月には、このミロノフならではのベルカントに焦点を絞ったリサイタルが、京都、東京、名古屋で開催される。唯一無二のテノールを存分に味わえる唯一無二の機会となることだろう。

公演情報

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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