東条碩夫「マエストロたちのあの日、あの時」

クラシック音楽業界の表裏に詳しい音楽評論家・東条碩夫さんが、世界的な指揮者やソリストたちの意外な素顔を紹介します。

東京文化会館 大ホールの美しい内部 写真提供:東京文化会館

音響の良いホールはマエストロたちの一員でもあること

62年前、1961年の春、東京文化会館が落成した時、当時の音楽ファンがどんなに歓喜したかは、それを体験した者たちでなければ想像もつかないだろう。それまで日比谷公会堂という、全く音の響かない会場でコンサートを聴いていたわれ

若かりし頃の飯守泰次郎氏=1972年の二期会公演「ワルキューレ」プログラム誌より

飯守泰次郎氏 ~わが国の誇るワーグナー指揮者~

若かりし頃の飯守泰次郎氏=1972年の二期会公演「ワルキューレ」プログラム誌より 飯守泰次郎氏がワーグナーものの指揮で、日本で初めて脚光を浴びたのは、やはり1972年秋の二期会上演「ワルキューレ」においてであったろう。こ

2001年の英国演奏ツアーから、尾高ゆかりのカーディフでの公演=11月1日 セント・デイヴィッズ・ホール 写真提供:札幌交響楽団

札幌交響楽団へのオマージュ

1970年代の札幌交響楽団 エフエム東京在籍時代、私が担当していたライブ番組のために、札幌交響楽団の演奏会を北海道で録音したことが何度かある。それは、ちょうど50年前——1973年のある浅い春の日に、札響事務局長の谷口靜

1950年代以降、演奏水準の向上に貢献したアルヴィド・ヤンソンス=1958年10月17日第94回定期演奏会(日比谷公会堂)

東京交響楽団へのオマージュ

小遣いをためて買ったチケットを大切に握りしめ、日比谷公会堂へ聴きに行った初めての東京交響楽団の演奏は、上田仁指揮でのチャイコフスキーの「悲愴交響曲」、ピアノ協奏曲第1番(ソリストは井口基成)、「胡桃割人形」組曲だった。そ

名誉指揮者・高関健との定期公演。現在の群響の本拠地、高崎芸術劇場を舞台に=2022年7月23日

群馬交響楽団へのオマージュ ~後編~

1971年、東条氏が初めて群響のライブ録音に訪れた際のエピソードから続きます(前編はこちら) 落雷と停電でひと騒動 第3楽章のさなか(その個所は今でも覚えている)、ついに危惧が的中し、どこかで落雷があったらしく、ホールの

移動音楽教室の様子。写真から、演奏や楽器紹介を織り交ぜた内容がうかがい知れる

群馬交響楽団へのオマージュ ~前編~

やっぱり発端は「ここに泉あり」 群馬交響楽団の創設期のことを描いた映画「ここに泉あり」のことについては、たいていのクラシック・ファンはよく知っているだろう。私もあの映画を見て、すこぶる感動した一人だ。 映画のラストシーン

1959年8月、旧国立競技場で上演されたワーグナー「ローエングリン」

旧国立競技場で「ローエングリン」が上演されたこと

 弦楽器群が最弱音で「聖杯グラールの動機」を奏し、前奏曲が始まる。同時にグラウンドの4カ所から、大きな気球がゆっくりと上がってゆく。弦が次第に数を増し、音楽が膨らんでゆくのにつれ、4つの気球が夕暮れの紺碧(こんぺき)の空

1960年11月、日比谷公会堂で日本初演されたワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」 写真提供:(公財)都民劇場

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」日本初演の頃

「ニュルンベルクのマイスタージンガー」が、この3月初頭にびわ湖ホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団他により上演される。また4月の初めには、東京文化会館で、東京・春・音楽祭の一環として、マレク・ヤノフスキ指揮NHK交響楽団