カーチュン・ウォン指揮 日本フィルハーモニー交響楽団 第783回東京定期演奏会

研ぎ澄まされた音が描く「レニングラード」

日本フィルがショスタコーヴィチの交響曲第7番「レニングラード」を取り上げた。当初予定されていたアレクサンドル・ラザレフに代わって指揮したのはカーチュン・ウォン。2023年の5番、25年の11番に続くショスタコーヴィチであり、ラザレフと日本フィルが長年築いてきた伝統を引き継ぎながら、独自の成果を示した秀演だった。

アレクサンドル・ラザレフに代わり、カーチュン・ウォンが指揮台に立った Ⓒ山口敦
アレクサンドル・ラザレフに代わり、カーチュン・ウォンが指揮台に立った Ⓒ山口敦

第1楽章冒頭、「人間の主題」は弦の弓がぴったりと揃(そろ)い、強いエネルギーとともに奏でられる。第2主題で一転して穏やかになり、時間の流れまで変わったような静けさがひろがる。木管の孤独な響きに続き、最弱音で小太鼓のリズムと弦のピツィカートによって現れる「戦争の主題」の研ぎ澄まされた表現とリズムの切れの良さ。その後も一糸乱れぬ運びでやがて巨大な総奏へ。アーティキュレーションなどの細部まで見事に揃う精緻な演奏が、不協和な響きとグロテスクな情感を際立たせ、クライマックスでは空間そのものが歪(ゆが)むほどだ。第2楽章はコミカルながら親密な主部と、テンポと情感を一変させ、整然とした強奏が鋭い諧謔(かいぎゃく)味を生む中間部との対比が鮮やか。再現部は情感を込めた語りのよう。

第1楽章冒頭、「人間の主題」は弦の弓がぴったりと揃い、強いエネルギーとともに奏でられた Ⓒ山口敦
第1楽章冒頭、「人間の主題」は弦の弓がぴったりと揃い、強いエネルギーとともに奏でられた Ⓒ山口敦

第3楽章冒頭の和音は悲痛な叫び。弦の歌に管楽器が重なり、オルガンを思わせる聖なる響きに。祈りのような音楽は、突然のホルンの咆哮(ほうこう)などを経て、慰めに満ちた歌から恐ろしいほどの静けさへ。そこから漸強、漸速によって緊張が高まり、恐怖の叫びへと至る。アンサンブルの精度が高く、わずかな和声の変化まで鮮明に浮かび上がる。再現部はまさに慟哭(どうこく)の歌だった。クラリネットの弔いの旋律と銅鑼(どら)の響きを経て終楽章へ。「運命の動機」が現れるとオーケストラ全体が大きくうねり、明確なリズムとともにエネルギーが膨らんでいく。最後は輝かしい勝利へと達するが、そこへ至る道が決して平坦(たん)でも安直でもないことを、デリケートな和声が伝える。勝利の輝きの背後に横たわる、失われたものの大きさが透けてみえるようだった。

平坦ではない道のりを経て、最後は輝かしい勝利へと達した Ⓒ山口敦
平坦ではない道のりを経て、最後は輝かしい勝利へと達した Ⓒ山口敦

1941年の独ソ戦のレニングラード包囲では、飢餓と寒さによって夥(おびただ)しい市民が命を落とした。この曲はそんな悲劇の都市へのオマージュであり、ショスタコーヴィチ自身は、ファシズムだけでなく、あらゆる専制と全体主義についての音楽だと語っている。だが、グロテスクなアイロニーを強調するあまり、そこに刻まれた悲惨さが相対化、矮小(わいしょう)化されることがある。しかしこの日の演奏は違った。終楽章の勝利だけでなく、そこへ至る恐怖や悲しみ、祈り、慟哭を真正面から捉え、スコアの細部まで克明に描き出し、レニングラードの悲劇を強烈な色彩感をもって浮かび上がらせてみせた。しかも壮大さや力強さだけでなく、表現の純度の高さによって成し遂げられていたことは特筆に値する。
(那須田務)

拍手喝采に応えるカーチュン・ウォン Ⓒ山口敦
拍手喝采に応えるカーチュン・ウォン Ⓒ山口敦

公演データ

日本フィルハーモニー交響楽団 第783回東京定期演奏会

9月11日(金)19:00 サントリーホール 大ホール

指揮:カーチュン・ウォン
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:扇谷 泰朋

プログラム
ショスタコーヴィチ:交響曲第 7番「レニングラード」ハ長調 Op.60

他日公演
9月12日 (土) 14:00サントリーホール 大ホール

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那須田 務

なすだ・つとむ

音楽評論家。ドイツ・ケルン大学修士(M.A.)。89年から執筆活動を始める。現在『音楽の友』の演奏会批評を担当。ジャンルは古楽を始めとしてクラシック全般。近著に「古楽夜話」(音楽之友社)、「教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ」(春秋社)等。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。

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