すべてが理想的に統率された「ドン・ジョヴァンニ」の決定版
序曲冒頭のデモーニッシュな響きで、演奏全体が予感できた。ジョヴァンニの地獄落ちこそ核だと知らされたが、一瞬にしてそれが伝わるほど統率された音だった。ムーティの色彩に染まった東京春祭オーケストラが奏する音は、すべてが意味を帯び、同じフレーズが繰り返されれば、必ずニュアンスが異なる。弛緩や停滞と無縁で、そのカラーは地獄落ちが核だから当然だが、終始セリア(正歌劇)に寄っている。
実際、地獄落ちの場面は、みなぎる恐ろしさが深く彫琢(ちょうたく)され、波のように引いては押し寄せる。逆説的だが、徹底的に制御されているがゆえに生々しく、涙腺が緩むほどだった。
キアラ・ムーティの演出はおそらく、父リッカルドのこうした解釈を土台にしている。すなわち、世界は稀代の悪人ジョヴァンニを中心に回っていて、周囲の人たちはジョヴァンニに翻弄されながらも、彼なしには輝けない――。それが視覚化されていた。ドラマは終始、崩れた宮殿のファサード(崩壊した価値観の象徴か)の上で展開する。ジョヴァンニ以外の登場人物は、最初は下着のような姿で現れ、空から降りてきた衣裳を着る。だが、ジョヴァンニが地獄に堕ちると衣裳は空に返され、彼らは無個性の男女に戻る。みなジョヴァンニに生かされていたのである。
冒頭で騎士長が殺されず、石像は影しか現れないのもおもしろい。「演出ノート」を読むと、騎士長はジョヴァンニ自身の「清廉な良心」と捉えられている。筋が通った解釈で、そうであれば、すべてが1日で完結する物語なのに、もう石像が立っていた、という矛盾も解消される。
初心者には難解だったかもしれないが、それでも事前に演出についての知識をもって臨めば、楽しめるはずだ。
そして、極めてバランスがいい歌手陣はこの舞台の肝だ。「ドン・ジョヴァンニ」はプラハ初演もウィーンでの上演も、すべてイタリア人が歌った。すなわち、イタリア流の歌唱と美しいイタリア語を前提にモーツァルトは作曲したはずで、ムーティもそこにこだわり、1人を除きすべてイタリア人を並べた。しかも、ジョヴァンニ役のルカ・ミケレッティはその場ごとに英雄的で、甘く、癇癪を表し、エロティックで、つまり変幻自在にニュアンスを変えるが(彼にはそれができる)、ほかの歌手は、あえて一定の色彩で歌い続ける。前述のジョヴァンニ中心の世界観が、声でも表現されているのだ。
1人1人に触れると、レポレッロのアレッサンドロ・ルオンゴは、ジョヴァンニの「影」のような歌唱で、騎士長のヴィットリオ・デ・カンポは、その「内の声」に聴こえる。オッターヴィオのジョヴァンニ・サラは表現力が卓越し、唯一クロアチア人であるマゼットのレオン・コーシャヴィッチは、題名役も務まる立派な声でイタリア語も美しい。ただし、みな表現は単色で、それによりジョヴァンニの複雑さが際立つ。
女声陣は深い声に情念を滲ませるエルヴィーラのマリアンジェラ・シチリアが秀逸。アンナのマリア・グラツィア・スキアーヴォは発声が浅いが、響きを作りすぎない分、言葉が明瞭で、それがムーティのねらいかもしれない。ゼルリーナ(主催者表記:ツェルリーナ)のフランチェスカ・ディ・サウロが3人の女声で一番分厚いが、アンサンブルのバランスはよく、強い声のせいで意志が感じられておもしろい。
演出も考え抜かれているが、演奏に関しては、決定版だといえよう。これを超えるものは想像がつかない。
(香原斗志)
公演データ
リッカルド・ムーティ指揮 W.A.モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」
4月26日(日)14:00東京文化会館 大ホール
指揮:リッカルド・ムーティ
演出:キアラ・ムーティ
ドン・ジョヴァンニ:ルカ・ミケレッティ
ドンナ・アンナ:マリア・グラツィア・スキアーヴォ
ドンナ・エルヴィーラ:マリアンジェラ・シチリア
ドン・オッターヴィオ:ジョヴァンニ・サラ
レポレッロ:アレッサンドロ・ルオンゴ
ツェルリーナ:フランチェスカ・ディ・サウロ
マゼット:レオン・コーシャヴィッチ
騎士長:ヴィットリオ・デ・カンポ
管弦楽:東京春祭オーケストラ
合唱:東京オペラシンガーズ
合唱指揮:仲田 淳也
プログラム
W.A.モーツァルト:オペラ「ドン・ジョヴァンニ」全2幕
他日公演
4月29日(水・祝)14:00、5月1日(金)14:00
東京文化会館 大ホール
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










