——今年2月、小澤征爾さんがお亡くなりになりましたが、ベルリン・フィルやウィーン・フィルから常に招聘される日本人指揮者はいなくなってしまいました。小澤さんに続く最有力候補はマエストロではないかと多くの音楽ファンが期待しています。今回のベルリン・フィルとの初共演はポスト小澤への第一歩になるのではないかと私も感じています。また、小澤さんの訃報が伝わった2月9日に、小澤さんが初演(1967年)した武満徹の「ノヴェンバー・ステップス」と同曲の初演時に演奏されたベートーヴェンの交響曲第2番を読売日本交響楽団で指揮したことも何か目に見えない繋がりを感じてしまいます。
山田 僕は今45歳ですが、幸いにも小澤さんとは直接出会うことができました。朝比奈隆先生の演奏会は聴くことができましたが、お会いすることは叶いませんでした。指揮者を志した時には、山田一雄先生、渡邉暁雄先生も既にお亡くなりになっていました。海外に広げればカラヤンやバーンスタイン、ショルティの実演に接したこともありません。武満さんにもお会いできませんでした。そうした中でやはり小澤さんに出会えたということは自分の中で大きな意味を持ち、強い影響を受けていると思います。
——ご自身でも小澤さんとの繋がりをお感じになっているわけですね?
山田 ご縁としては小澤さんがブザンソン国際指揮者コンクールで優勝したのが1959年で僕(の優勝)が2009年ですから、ちょうど半世紀後に優勝したことも何かめぐり合わせを感じます。小澤さんとは師弟関係であったわけではありませんが、本当にいろいろと目をかけてくださいました。サイトウ・キネン・オーケストラを2回指揮させていただきましたし、どちらも本番をご覧いただき、すごく喜んでくださったそうです。時には厳しいアドバイスをいただいたこともありました。お身体が万全でない状態にもかかわらず、僕のために時間を作ってくださって、もっとこうしたら良くなるのではないか、というようなアドバイスを熱心にしてくださいました。その伝え方が、若いのだから仕方がないってことは一切おっしゃらずに、ご自分の経験値と照らし合わせて同じ土俵で対等に話をされる方でしたので、とても刺激を受けました。
——ベルリン・フィルの公演はもちろんですけど、そのほかの演奏会の成功もお祈りしております。ありがとうございました。
山田和樹のプロフィールは国内のマネージメントを担当するジャパン・アーツのホームページ(山田 和樹 | クラシック音楽事務所ジャパン・アーツクラシック)をご覧ください。
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。