新国立劇場VS東京・春・音楽祭
ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」聴き比べ(上)

デイヴィッド・マクヴィカー演出による「トリスタンとイゾルデ」の舞台(2010年) 写真提供=新国立劇場、撮影=三枝近志
デイヴィッド・マクヴィカー演出による「トリスタンとイゾルデ」の舞台(2010年) 写真提供=新国立劇場、撮影=三枝近志

この3月、東京でワーグナーの大作「トリスタンとイゾルデ」の〝競演〟が実現する。ひとつは新国立劇場で14日からスタートするデイヴィッド・マクヴィカー演出によるプロダクションの再演で、同劇場オペラ芸術監督の大野和士が自ら指揮を務め、東京都交響楽団がピットに入る。もう一方は今年20回目の節目を迎えた東京・春・音楽祭の中心企画のひとつ、東京春祭ワーグナー・シリーズの第15弾として「トリスタン…」がマレク・ヤノフスキ指揮、NHK交響楽団によって演奏会形式上演される。いずれも内外の実力派歌手を起用してのステージ。ふたつの「トリスタン…」の魅力をそれぞれの関係者の話も交えて2回に分けて紹介したい。前編は新国立劇場の「トリスタン…」。
(宮嶋 極)

フルステージ上演ならではのビジュアル面も注目したい新国立劇場の「トリスタンとイゾルデ」

ワーグナー作品は上演の正味時間が4時間半を超える大作が多いだけに、ヨーロッパに比べると日本では上演機会は決して多くはない。そんなワーグナーの大作が同時期に、それも一流の演者によって上演されるのは滅多にはない機会である。ちなみに2005年9月、新国立劇場とバイエルン州立歌劇場の日本公演による「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の上演が重なった。日によっては同時刻に上演が行われ「渋谷区内(新国とNHKホール)で同時にマスタージンガーが鳴り響いた」と海外のマスコミにも〝珍事〟として取り上げられた。今回の「トリスタン」は公演日が重なることはないが、似たようなケースといえよう。加えて東京春祭の「ニーベルングの指環」ガラ・コンサート(4月7日、ヤノフスキ指揮N響)、子どものためのワーグナーの「トリスタン…」(3月23・24・28・30・31日、バイロイト音楽祭提携公演 カタリーナ・ワーグナー監修)、さらには2月末から3月にかけて二期会が上演する「タンホイザー」(アクセル・コーバー指揮読響、キース・ウォーナー演出、再演)も含めるとこの春はまさに〝ワーグナー祭り〟といえるほどの活況を呈している。

「トリスタンとイゾルデ」のスコアを傍らに置き、「トリスタン…」について語る大野和士
「トリスタンとイゾルデ」のスコアを傍らに置き、「トリスタン…」について語る大野和士

新国の「トリスタン…」の魅力はなんといってもフルステージ上演ということであろう。英国の演出家マクヴィカーらのチームによる舞台は作品のキーワードでもある闇を象徴的に表わす黒を基調にした美しい作りとなっている。昨今流行りの大胆な読み替え演出というよりは、比較的台本に忠実で、本来のストーリーを理解しやすくワーグナー作品のビギナーにも十分楽しめる作りとなっている。2010年に大野の指揮でプレミエ上演され、大きな注目を集めた。大野は言う。

「このプロダクションは今から13年前、私がまだ新国立劇場の芸術監督に就任する以前に任されたもので、再演は今回が初めてとなります。何より素晴らしいのは才能にあふれた演出家であるマクヴィカーさんが何ひとつ変わったこと(極端な読み替え)をしていないことです。例えば月の灯りが昇って、落ちていく。つまり朝が近づいてくることを視覚的に表わしています。トリスタンとイゾルデにとって朝が迫ってくるということは死を意味するわけです。2人が時間を共有できるのは唯一、夜に限られることから、夜の賛歌、愛の賛歌、そしてそれが〝愛の死〟へと結びついていくわけです。こうしたマクヴィカーさんのアイディアがこの作品を分かりやすいものにしていると私は考えています」。

英国の演出家デイヴィッド・マクヴィカー 写真提供=新国立劇場
英国の演出家デイヴィッド・マクヴィカー 写真提供=新国立劇場

プレミエ時の大野のち密かつ繊細な音楽作りも各方面から高い評価を集めた。今回、オーケストラは大野が音楽監督を務める東京都交響楽団。お互いを知り尽くした関係だけに深部にまで踏み込んだ緊密なアンサンブルが期待される。フルステージ上演と演奏会形式の違いはさておき、あえて東京春祭との違いを大野に聞いてみた。

「半分冗談に聞こえるかもしれませんが、オーケストラがピットに入るということは夜の世界なのですよ。つまり光を浴びて演奏している楽員がひとりもいないわけです。歌を支えている何十人ものオケが夜の世界から音を発している。(こうした演奏環境の適合性は)トリスタンおいてほかに勝る作品はないと思いますよ」という面白い答えが返ってきた。

初日は14日。なお、大野のインタビュー取材の詳細については一問一答形式で近日中に動画と合わせてアップする予定です。

内外の実力派が揃った出演する歌手たち。写真提供=新国立劇場
内外の実力派が揃った出演する歌手たち。写真提供=新国立劇場

公演データ

新国立劇場 ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(再演、全3幕ドイツ語上演字幕付き)

3月14日(水)16:00 、17日(日)14:00、20日(水・祝)14:00、23日(土)14:00、26日(火)14:00、29日(金)14:00 新国立劇場オペラパレス

指揮:大野 和士
演出:デイヴィッド・マクヴィカー
美術・衣裳:ロバート・ジョーンズ
照明:ポール・コンスタブル
振付:アンドリュー・ジョージ
再演演出:三浦 安浩
舞台監督:須藤 清香

トリスタン:ゾルターン・ニャリ
マルケ王:ヴィルヘルム・シュヴィングハマー
イゾルデ:リエネ・キンチャ
クルヴェナール:エギルス・シリンス
メロート:秋谷 直之
ブランゲーネ:藤村 実穂子
牧童:青地 英幸
舵取り:駒田 敏章
若い船乗りの声:村上 公太
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京都交響楽団
コンサートマスター:矢部 達哉

『トリスタンとイゾルデ』ダイジェスト映像

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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