新国立劇場の2026/2027シーズン開幕を飾るのはジョアキーノ・ロッシーニのオペラ・ブッファ(喜歌劇)「イタリアのトルコ人」である。「恋愛のドタバタ劇」とも説明される作品だが、それでは到底いいきれないほど深く、音楽的充実度も高い。8月に作曲家の生地ペーザロで開催されたロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)では、1幕のファルサ(笑劇)「なりゆき泥棒」をアレッサンドロ・ボナートが指揮し、同「絹のはしご」のジェルマーノ役をパオロ・ボルドーニャが歌ったが、この2人は「イタリアのトルコ人」の指揮者および出演歌手である。ペーザロでこのオペラの特徴や魅力について2人に聞いた。(香原斗志)
ロッシーニの聖地でキャリアを積んだボナート
「私は2019年、ROFで指揮者のキャリアをスタートさせ、以来、ロッシーニにはずっと親しんでいて、彼に関する音楽学的な研究も深めています。古楽とバロックのヴィオラを学んだ経験からも、ロッシーニの演奏慣習の復元に取り組んでいます」
そう語るのは、今年31歳になったばかりの指揮者ボナートだが、最初に「イタリアのトルコ人」の筋書きをごく簡単に記す。ヒロインのフィオリッラは奔放で、「貞淑なんてバカらしい」といって、イタリアに現れたトルコの王子との恋を楽しむが、結局ふられて元の鞘に収まる。ボナートの話に戻ろう。
「『イタリアのトルコ人』の初演は『アルジェのイタリア女』の約1年後だったので、いつも前作との比較で語られ、過小評価されてきました。まず、このオペラは喜劇で、そこに価値も演奏上の難しさもあります。喜劇が難しいのは、悲劇では日常の外側が描かれるのに対し、日常生活そのものが舞台になるからです。『イタリアのトルコ人』には恋愛をめぐる陰謀や人物のすり替えがあり、不貞の妻と嫉妬深い夫がいて、美しく魅力的なトルコ人がいます。彼らがとても複雑に絡み合います」
絡み合った末に、奔放だったフィオリッラは元の鞘に収まるが、その際、以前より成長している。成長譚であることは、この作品の現代性につながっている。
「このオペラは二重唱、三重唱、四重唱、五重唱、さらに第1幕と第2幕のフィナーレなどアンサンブルが多く、合唱が活かされた作品です。『セビリャの理髪師』にはアリアが多いのに対して、こちらにはアンサンブルが多いのが興味深い特徴です」
そして重唱が終わるたびに、他者との駆け引きを経て、人々が成長するのである。
「また、詩人のプロスドーチモという、作品全体をつなぐ糸のような役がいます。彼にはアリアもありませんが、すべての場面を、少し外側から接着剤のようにつないでいます。ほかの登場人物たちの行動を軒並み観察し、自分の劇を構成するために書き記すのです」
約100年後のR・シュトラウス「ナクソス島のアリアドネ」のように、詩人が創作するドラマの劇中劇のような構成なので、私たちも各人の行動を一歩引いて観察できる。
喜劇的な役に魂を挿入するボルドーニャ
奔放なフィオリッラに振り回される気の毒な夫ドン・ジェローニオは、2020年の新国立劇場公演「セビリャの理髪師」でドン・バルトロ役が好評だったボルドーニャが歌う。
「『イタリアのトルコ人』は『セビリャの理髪師』の人気の蔭に隠れてしまっているのが残念ですが、この作品には非常に洗練された音楽的フレーズと、真実の感情があります」
そう語るボルドーニャは、バッソ・ブッフォ(喜劇的な役を歌う低声)の役を歌う際、「現代の観客が共感できる人物像が創造できなければいけない」と語る。
「ドン・ジェローニオはロッシーニが書いたバッソ・ブッフォ中で、最も哀れで悲しい役だと思います。彼の周囲の状況は滑稽で笑いを誘いますが、彼自身非常に真剣です。そういう役を、単なる道化として演じてはいけません。道化役が愚かだから笑えるのではなく、彼の周囲の状況が滑稽だから笑えるのです。ジェローニオにかぎらずバッソ・ブッフォの役には、単なる笑い以上に人間の真実や哀愁、誠実さなどが秘められています。それを道化役として演じ、笑いを取るだけでは、役を演じていることにはなりません」
バッソ・ブッフォの役は愚かでなく、知的で誠実な人物だというのだ。
「ロッシーニのバッソ・ブッフォには魂があり、もっと深いのです。ロッシーニの音楽は軽やか、かつ非常に高尚なので、ブッフォの表現を表面的な喜劇の域を超えて高めることができます」
しかも、ボルドーニャが(おそらくほかの競演陣も)力を発揮できる条件が、東京には揃っているという。
「東京の観客はいつも暖かく迎えてくれ、客席の反応から新しいエネルギーをもらうことができます。東京の舞台では疲れを感じません」
公演データ
新国立劇場 ロッシーニ:歌劇「イタリアのトルコ人」新制作
10月2日(金)18:00、4日(日)14:00、7日(水)14:00、10月10日(土)14:00、12日(月・祝)13:00 新国立劇場オペラパレス
指揮:アレッサンドロ・ボナート
演出・衣裳:ロラン・ペリー
美術:シャンタル・トマ
照明:ジョエル・アダム
舞台監督:髙橋尚史
セリム:アレハンドロ・バリニャス・ビエイテス
ドンナ・フィオリッラ:クラウディア・ムスキオ
ドン・ジェローニオ:パオロ・ボルドーニャ
ドン・ナルチーゾ:ルジル・ガティン
詩人プロスドーチモ:ブルーノ・タッディア
ザイダ:但馬由香
アルバザール:山本康寛
合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。










