ザルツブルク音楽祭2026 リポート(上)

テオドール・クルレンツィスのカリスマ性にリードされたザルツブルク音楽祭「カルメン」の圧巻のステージ

世界最大の音楽祭、ザルツブルク音楽祭が今年も7月17日から8月30日までの間、開催され世界中の音楽ファンが多数訪れる活況を呈した。同音楽祭のリポート、初回は話題の鬼才テオドール・クルレンツィス指揮によるビゼーの歌劇「カルメン」(演出ガブリエラ・カリーソ)について報告する。(宮嶋 極)

終演後のカーテンコールではどの出演者よりも大きな喝采とブラボーを集めたテオドール・クルレンツィス(中央)
終演後のカーテンコールではどの出演者よりも大きな喝采とブラボーを集めたテオドール・クルレンツィス(中央) 写真提供:Salzburger Festspiele (C) SF/Marco Borrelli

今年の同音楽祭で最大級の注目を集めた公演のひとつであり、チケットは発売直後に完売する人気ぶりであった。演出は2000年にベルギーでダンス・カンパニー「ピーピング・トム」をフランク・シャルティエとともに立ち上げた振付師で演出家としても活躍するガブリエラ・カリーソ。セリフをすべてカットし(レチタティーヴォもなし)随所にダンスを挿入して、無言劇にも似た動きでさまざまな表現を行う斬新なスタイルであった。

しかし、満員の観客・聴衆が最も注目し期待したのはクルレンツィスと彼が結成したユートピア管弦楽団による音楽であった。ムジカ・エテルナ時代のクルレンツィスは立奏が常であったため開演前、ピットを覗くと全員分の椅子がセットされており、さすがにオペラは座って演奏するのかと思いきや、前奏曲ではチェロなどを除いて全員が立奏を始めたことにまず驚かされた。さらに驚いたのがその演奏内容だ。前奏曲はやや遅めのテンポでひとつひとつの音符を刻み付けるように弾き進められていく。クルレンツィスは人並み外れた求心力を発揮してオケのメンバーの意識を自らに全集中させ、オケ・ピットから強烈なエネルギーを放散させるような音楽を創出していく。ダイナミックレンジは広く、特にフォルティシモの音量・音圧は迫力満点で、広いザルツブルク祝祭大劇場に濃い密度をもって響きわたった。
こうした強烈に主張するオケの演奏は幕が開いても変わることなく、歌手と同じ旋律、あるいは重要な対旋律を奏でるパートがその箇所だけ立ち上がって演奏するなど、通常のオペラ公演では見たことがない光景が繰り返された。

演出を務めた「ピーピング・トム」のガブリエラ・カリーソ 写真提供:Salzburger Festspiele (C) SF/Jan Friese

テンポの緩急の差も大きかった。例えばカルメンたちが歌い踊る第2幕の「ジプシーの歌」。出だしはこれまで聴いたことがないほどの遅いテンポで始まり、次第に速度を上げていき最終的には、これまで聴いた中では最も速いテンポで一気に駆け抜けるように乱舞を演出してみせた。この場面での音量も破格の大きさであった。
終幕、カルメンとホセの命を懸けたやり取りの緊迫感も尋常ならざるものであった。クルレンツィスは管弦楽作品にも増して「カルメン」のような劇音楽の方がより、彼の音楽的特性、言い換えればその非凡さとよい意味での異質性が伝わってくるように感じた。
なお、この最終場面、台本ではカルメンがホセから贈られた指輪を投げつけたことで、ホセが逆上し刺殺してしまうのだが、今回の演出ではその前からホセは何度もカルメンを刺し、カルメンは怯むことなく決別を宣言し続ける流れに変更されていた。現代のストーカー殺人事件の犯人のような執拗さと女性の強さを想起させる演出であった。

クルレンツィスの指揮のもと、従来のイメージを打破する歌唱と演技を披露したカルメン役のアスミク・グリゴリアン(左)とドン・ホセを演じたジョナサン・テテルマン
クルレンツィスの指揮のもと、従来のイメージを打破する歌唱と演技を披露したカルメン役のアスミク・グリゴリアン(左)とドン・ホセを演じたジョナサン・テテルマン 写真提供:Salzburger Festspiele (C)SF/Marco Borrelli

カルメン役はアスミク・グリゴリアン。この公演の6日前、筆者はバイロイトで彼女が演じる「さまよえるオランダ人」のゼンタを観た(聴いた)ばかり。まるで別人のような演技と歌唱、言い換えればそれぞれの役への没入ぶりは目を見張るものがあった。さらに言えばリトアニア出身の彼女が同じ時期にドイツ語とフランス語の役を掛け持ちして、一方はソプラノの、もう一方はメゾ・ソプラノの声域の役どころにもかかわらず、求められる水準を大きく超えるパフォーマンスを披露し、バイロイト、ザルツブルクの両方で盛大な喝采を集めるなど高い評価を得たことは彼女のポテンシャルの高さを示すものであった。グリゴリアンが描き出したカルメン像は従来の妖艶で気まぐれな女性ではなく、しっかりと自分を持った現代の女性というイメージで、クルレンツィスの斬新な音楽と演出コンセプトにマッチするものであった。

エスカミーリョを演じたダビデ・ルチアーノ(上)も大きな存在感を発揮した
エスカミーリョを演じたダビデ・ルチアーノ(上)も大きな存在感を発揮した 写真提供:Salzburger Festspiele (C) SF/Virginia Rota

相手役のドン・ホセはチリ出身の米国人テノール、ジョナサン・テテルマン。強靭な声の持ち主で、こちらも従来の同役のイメージを打破する強い意思を感じさせる歌唱と演技であった。ミカエラのクリスティーナ・ムヒタリアン、エスカミーリョを演じたダビデ・ルチアーノも同様にこれらの役に新風を吹き込むパフォーマンスでクルレンツィスを核としたこのプロダクションの世界観の形成に大きな役割を果たしていた。
全体としては歌手、コーラス、オケ、すべての表現がクルレンツィスに集約され、大きなエネルギーを生み出すような圧巻のステージであった。

なお、筆者が割り当てられた取材席と同じボックスに指揮者のペトル・ポペルカがいたので終演後に感想を聞いたところ、「驚くべき上演で素晴らしかった。私もこういうの大好きですよ」と興奮気味に語ってくれた。

随所にダンスが挿入されたガブリエラ・カリーソ演出の「カルメン」のワンシーン 写真提供:Salzburger Festspiele (C)SF/Virginia Rota

公演データ

ザルツブルク音楽祭2026 ビゼー:歌劇「カルメン」

8月12日(水)19:00 ザルツブルク祝祭大劇場

指揮:テオドール・クルレンツィス
演出・振付:ガブリエラ・カリーソ(ピーピング・トム)
舞台美術・衣裳:クリストフ・ヘッツァー
照明:トム・ヴィッサー
演出補:ラファエル・ラティーニ
振付協力:チャーリー・スキューイ
ドラマトゥルギー:クリスティアン・アルゼニ
合唱指揮:ヴィタリー・ポロンスキー ミヒャエル・シュナイダー

カルメン:アスミク・グリゴリアン
ドン・ホセ:ジョナサン・テテルマン
ミカエラ:クリスティーナ・ムヒタリアン
エスカミーリョ:ダビデ・ルチアーノ
フラスキータ:イヴェータ・シモニャン
メルセデス:アニタ・モンセラット
ズニガ:マティアス・ヴィンクラー
モラレス:リヴィウ・ホーレンダー
ダンカイロ:マイケル・アリヴォニー ほか
ユートピア合唱団、ザルツブルク・バッハ合唱団、ザルツブルク音楽祭・演劇子ども合唱団
ユートピア管弦楽団

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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