バイロイト音楽祭2026リポート(下) 「さまよえるオランダ人」

今年、創設から150年の記念イヤーとなったバイロイト音楽祭のリポートの最終回は2021年から上演が続いたドミートリー・チェルニャコフ演出による「さまよえるオランダ人」の再演について報告する。

(宮嶋 極)

ゼンタを演じたアスミク・グリゴリアン。6年ぶりにバイロイトの舞台でスケールアップした歌唱を披露した。
ゼンタを演じたアスミク・グリゴリアン。6年ぶりにバイロイトの舞台でスケールアップした歌唱を披露した。 写真提供=Bayreuther Festspiele (c)Enrico Nawrath_press

【チェルニャコフ演出の「オランダ人」について】

チェルニャコフ演出による「さまよえるオランダ人」は2021年、コロナ禍の中でプレミエ上演されたプロダクション。22年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始前ということで、チェルニャコフをはじめとするロシアの演出チームとバイロイト史上、初の女性指揮者として注目を集めたウクライナ出身のオクサーナ・リーニフによる共同作業によって制作された。その後の両国の関係を考えると何とも複雑な思いを禁じ得ない。21~24年、そして今年と計5年、上演が続けられ恐らく今回が最後となる見込みだ。

ロシアの演出家ドミートリー・チェルニャコフ 写真=Bayreuther Festspiele ホームページより

21年のステージはNHK-BSで放送され、映像ソフトにもなっているが、今回と比較するとコロナ禍中との違いもあり登場人物たちの動きが少し活発になっていたが、その他については大きな変更は加えられていないことから演出の詳細についての報告は割愛する。

【実力歌手たちによるドラマティックな歌唱と演技】

歌手陣は21年のみ出演していたゼンタ役のアスミク・グリゴリアンが取材した6日と8日に登場したことを除けば、初年度とは全員、別の出演者となった。その中で注目はやはりグリゴリアンであろう。この6年間で彼女はキャリアをさらに積んで表現の幅を広げ、ワーグナー作品を歌うのに必要な強い声を無理なく出せるようになったと感じた。21年のビデオをチェックしてみたところ強い声で歌った時、音域によってわずかなムラを感じさせることがあったが、今年はそうしたことは皆無でどの音域でも安定した発声で細かいパッセージも滑らかに歌いこなしていた。

第1幕のワンシーン。ワーグナー歌手としての実力を発揮した題名役のニコラス・ブラウンリー(前)、ダーラント役のミカ・カレス(後ろ左)も充実の歌唱と演技で公演の成功を支えた。 写真提供=Bayreuther Festspiele (c)Enrico Nawrath_press

もうひとりの注目は題名役を演じた米国のバス・バリトン、ニコラス・ブラウンリーである。彼はバイエルン州立歌劇場、パリ国立オペラなど各地で「ニーベルングの指環(リング)」のヴォータンなどで好評価を得て、ワーグナー歌手として頭角を現している成長株。バイロイトでは24年から「リング」(ヴァレンティン・シュヴァルツ演出)でドンナーなどを演じている。どっしりとした太い声が魅力的で、声量もかなりの大きさがあり、グリゴリアンとの掛け合いはドラマティックで聴き応え満点であった。
さらにエリックのベンヤミン・ブルンズも透明感のあるよく通る声を駆使してゼンタを危機から救おうとの場面で緊張感あふれる熱唱を聴かせた。
ダーラント役のミカ・カレスら他の歌手たちも高い水準の歌唱と演技を披露した。

「さまよえるオランダ人」1幕、ゼンタ(右)とオランダ人の出会いのシーン
「さまよえるオランダ人」1幕、ゼンタ(右)とオランダ人の出会いのシーン 写真提供=Bayreuther Festspiele (c)Enrico Nawrath_press

【バイロイト史上初の女性指揮者リーニフの成長】

特筆すべきは指揮のリーニフの充実ぶりであろう。21年のビデオを見返すと、その音楽作りは直線的で、幾分単調であった。過去の筆者の取材ではオーケストラ内部からも練習の進め方などで、彼女のやり方に心配の声が上がっていた。

充実の度合いを増した指揮のオクサーナ・リーニフ 写真=Bayreuther Festspiele ホームページより

ところが、今年は序曲で時化(しけ)の海を表現した箇所から音楽にワーグナー作品ならではの〝うねり〟が生み出されていたことにまず、目を見張るものがあった。歌手とのアンサンブルでもより活発なやり取りが行われ、終始高いテンションを維持しながら劇的効果を最大限に引き出した音楽作りは多くの観客・聴衆を大いに魅了するものであった。終演後、彼女のSNSをチェックしたところ、この日、バイロイトで6年ぶりにグリゴリアンと共演したこともリーニフにとっては気迫が一層漲(みなぎ)ることに繋がっていたようだ。

全体として当初の期待をはるかに超える素晴らしい出来映えで、ひとつのプロダクションの上演を数年にわたって繰り返しながら、ブラッシュアップしていくバイロイト音楽祭の真骨頂というべきステージであった。

「さまよえるオランダ人」第3幕のワンシーン
「さまよえるオランダ人」第3幕のワンシーン 写真提供=Bayreuther Festspiele (c)Enrico Nawrath_press

公演データ

【バイロイト音楽祭2026】

◎歌劇「さまよえるオランダ人」

8月6日(木)18:00 バイロイト祝祭劇場

指揮:オクサーナ・リーニフ
演出・舞台美術:ドミートリー・チェルニャコフ
衣装:エレーナ・ザィツェーヴァ
照明:グレブ・フィルシュティンスキー
ドラマトゥルギー:タチアーナ・ヴェレシチャーギナ
合唱指揮:トーマス・アイトラー・デ・リント

ダーラント:ミカ・カレス
ゼンタ:アスミク・グリゴリアン
エリック:ベンヤミン・ブルンズ
メアリー:ナディーネ・ヴァイズマン
操舵手:キーラン・カレル
オランダ人:ニコラス・ブラウンリー
バイロイト祝祭合唱団
バイロイト祝祭管弦楽団

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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