みずみずしく和やかに~水戸室内管との時間を心から楽しみ、圧巻の演奏を聴かせたアルゲリッチ
別府アルゲリッチ音楽祭の第25回の節目にちなみ、佐藤樹一郎・大分県知事の挨拶とともに始まった東京公演。総監督マルタ・アルゲリッチが演奏するピアノ協奏曲は当初バルトークの第3番と発表されたが、ベートーヴェンの第2番に変更された。これは2019年5月24日の同じホールの東京公演、同じ水戸室内管弦楽団が同じコンサートマスターの豊嶋泰嗣とともに演奏したのと同じ曲だ。指揮者は2024年に亡くなった小澤征爾に代わり、広上淳一が務めた。小澤との同曲録音もCDとして現存する。

アルゲリッチは楽員と一緒に舞台へ現れ、チューニングの打鍵も引き受けた。長い前奏が始まると、コンサートマスターが前半の田中直子から豊嶋へと替わっただけでは説明できないほど、オーケストラの音の生気が極端に増した。ピアノ独奏は真珠を思わせる粒立ちと光沢を伴うタッチで滑り出し、軽妙さと力強さ、歯切れのいいリズムと豊かなカンタービレなどなど、対極の要素を多層的に備えた情報量の膨大さで圧倒する。それでいて脱力が行き届き、水戸室内管のメンバーたちと共有する時間を心から楽しんでいるのがわかる。第1楽章のカデンツァは「溢れ出る音楽の泉」の趣。左手の強靭さにはいささかの衰えもないが、ふとした一瞬にたたずむような素振りが現れ、若い頃の一気呵成とも5年前の演奏とも異なる味わい、ゆとりを感じさせて圧巻だった。

第2楽章は何と繊細な音、フレージングなのだろう! フルートのセバスチャン・ジャコー、オーボエのフィリップ・トーンドゥルら木管の名手たちとの室内楽的な語らいも存分に耳を楽しませる。曖昧な打鍵は皆無で、すべての音のニュアンスが明快なベクトルを伴って聴く側の内面に届き、最後は胸がしめつけられるほどに感じきる音楽だった。
アタッカ(切れ目なし)以上の〝前のめり〟で入った第3楽章では先ずハイスピードと正確無比が両立したトリルの技に驚き、変幻自在のリズムの妙へと次第に巻き込まれていく。勢いに任せただけではない実態は最後の最後、アルゲリッチと広上、メンバーが心を一つにして息をひそめ、深い余韻とともに着地した時点でいっそう明確となった。

客席は最初のカーテンコールで総立ち。今日はとりわけ機嫌が良さそうなアルゲリッチは最近「マイブーム」らしいアンコール、シューマンの「夢のもつれ」を闊達に弾いた。
演奏会前半には同じシューマンの「交響曲第2番」が演奏されたが、この種の演奏会で「前座」以上に強烈な印象を与えるのは至難の業であると思わざるをえなかった。
(池田卓夫)
公演データ
別府アルゲリッチ音楽祭・水戸室内管弦楽団共同制作
日本生命presents ピノキオ支援コンサート 室内オーケストラ・コンサート
5月14日(水)19:00東京オペラシティ コンサートホール
指揮:広上淳一
ピアノ:マルタ・アルゲリッチ
管弦楽:水戸室内管弦楽団
コンサートマスター:田中直子、豊嶋泰嗣
プログラム
シューマン:交響曲第2番ハ長調Op.61
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第2番変ロ長調Op.19
ソリスト・アンコール
シューマン:幻想小曲集Op.12より第7曲「夢のもつれ」

いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。