31年前、1992年の9月。長野県の松本駅に降り立つと、駅前広場いっぱいに広がる音楽祭のフラッグ。広場中央の塔(当時)のスピーカーからは、ブラームスの「第4交響曲」が流れている。街を挙げての大祝祭――という感だ。それが、当初は「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」という名称だったあの有名な音楽祭の、第1回の華やかな開幕だった。
なにしろ、人気・実力絶頂の小澤征爾氏が総監督となって旗揚げする音楽祭だから、早くから話題が沸騰していたことは、言うまでもない。NHKも開幕前のリハーサルの模様を生中継し、小澤さんへのインタビューなども織り込んで盛り上げたが、小澤さんが生放送で何度も「セイコー・エプソンという会社がスポンサーになってくれて……」と繰り返すものだから、NHKのアナウンサーが困った顔をしている様子がそのままオン・エアされてしまい、われわれ外野のスズメどもは爆笑したものである。
開幕演奏会はその9月5日、竣工したばかりの長野県松本文化会館で行われた。あの時の熱気のすさまじさは、今でも忘れられない。天皇、皇后両陛下(現・上皇ご夫妻)も臨席されて、武満徹氏の「セレモニアル」、チャイコフスキーの弦楽セレナード、ブラームスの交響曲第1番がプログラムを飾った。これもNHKが生中継したはずである。「セレモニアル」で、1階下手のドアから宮田まゆみさんが笙(しょう)を吹きながら静かに入場し、客席内(私のすぐ前)をゆっくり通ってステージに向かって行った祝典的な光景、ブラームスでの小澤さんが指揮するサイトウ・キネン・オーケストラの熱狂的な演奏と客席の興奮なども、つい昨日のことのように思える。
もうひとつ印象的だったのは、その初年度に上演されたストラヴィンスキーのオペラ=オラトリオ「エディプス王」である。私は同音楽祭で上演されたオペラは全て見てきたが、演出と舞台美術の大がかりな点では、1999年の「ファウストの劫罰」(ロベール・ルパージュ演出)、2008年の「利口な女狐の物語」(ロラン・ペリー演出)などとともに、この「エディプス王」を挙げたい。ジュリー・テイモアを演出に、ゲオルギー・ツィーピンを美術に、ワダエミを衣装担当に起用したあの豪華で巨大で、怪奇で不気味な舞台は、実に偉観というべきものであった。もちろん音楽的にも完璧で、題名役のフィリップ・ラングリッジをはじめ、王妃ヨカステ役のジェシー・ノーマン、王妃弟役のブリン・ターフェルら、それにコロス役の東京オペラシンガーズと晋友会合唱団が、並外れた迫力の歌唱を聴かせた。こういうレパートリーを得意中の得意としている小澤征爾総監督の指揮が圧巻であったことは、言うまでもない。
その頃は、音楽祭の記録メディア展開もすこぶる盛んだった。毎年のようにフィリップス・レーベルからライブCDが発売されていた(私も随分ライナー・ノートを書かせていただいたものだ)が、この「エディプス王」もレーザーディスクとCDで出た。前者はライブ映像だったが、後者は別の日に岡谷カノラホールでセッション・レコーディングされるという豪勢さだったのである。
このCD録音では、題名役がラングリッジからペーター・シュライヤーに代わっていたが、私がフィリップスのスタッフから聞いた面白いエピソードがひとつある。合唱の「Gloria! Gloria!」の頭のアクセントがどうも弱い、物足りない、と小澤総監督やコーラスが苦心惨憺(さんたん)しているのを見たジェシー・ノーマンが、おもむろに歩み出て「Gloria」を「Cloria」と発音してごらんなさい、とアドバイスしたのだそうだ。そこでやってみると効果はてきめん、「さすが大プリマドンナはすごい」と、一同最敬礼をしたとか。――あのCDと、それからライブ映像(のちにDVDにもなったはず)は、いま手に入るのだろうか?
フェスティバルのチケット争奪戦は、現在よりも昔の方が大変だったはずである。その頃、市内で乗ったタクシーのドライバーが、私にこうこぼしていたのを覚えている。「東京の人がチケットをみんな持っていっちゃうもんで、おれたち松本市民は、いくら並んだってなかなか買えないですよ、まったくもう」。真偽のほどは定かでないが、音楽祭期間中は市内のホテルがなかなか取れなかったのは事実であった。
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。