第47回 外山雄三と「管弦楽のためのラプソディー」

外山雄三と大阪交響楽団 第96回名曲コンサートより=2017年6月3日 ザ・シンフォニーホール (C)飯島隆
外山雄三と大阪交響楽団 第96回名曲コンサートより=2017年6月3日 ザ・シンフォニーホール (C)飯島隆

先日、大阪のザ・シンフォニーホールで、山下一史指揮大阪交響楽団による「外山雄三追悼演奏会」を聴く機会があった。かつてはこの楽団のシェフであり、現在は名誉指揮者の称号を贈られている故・外山雄三への深い愛が感じられる熱い演奏が繰り広げられたが、アンコールで演奏された「管弦楽のためのラプソディー」の屈託ない流麗なフルートの「信濃追分」を聴きながら、この曲ももう古典の域に入ったのだな、と何となく微笑ましい気持ちになったのだった。童歌「あんたがたどこさ」に始まり、「ソーラン節」「炭坑節」「串本節」「信濃追分」「八木節」などの民謡が大管弦楽で続いてゆくこの曲を、64年前に初めて聴いた時には、その頃のみんなと同じように、私もかなり面食らい、身体がムズムズし、友人たちと苦笑しあって「いやもう、ちょっとあれは……」などと格好つけたものだったが。
私が初めてこの曲を聴いたのは、テレビでのN響の演奏会中継においてだったが、それが1960年7月のN響の欧州演奏旅行の壮行会のライブだったか、あるいは欧州での演奏会のライブだったかは定かではない。ただ、曲が始まったとたんに金管奏者たちがいっせいに笑い出していたことと、最後の「八木節」の打楽器の愉快なリズムを受け持つ奏者たちがなぜか恐ろしくクソ真面目な怖い顔をしながら叩きまくっている、そのギャップが可笑しかったことだけが、妙に記憶に焼き付いている。

 

その放送の際で聴いたこの曲が、譜面通りに全部演奏されていたかどうかは、残念ながら覚えていない。というのは、実はこの曲のいつの演奏の時の話か定かではないのだが、時の皇太子殿下ご夫妻(現・上皇ご夫妻)が聴きに来られるというので、その御前で「炭坑節」をやるのはまずいんじゃないか、というだれやらの意見が出て来て、その部分をカットしたとか、しなかったとかという話を何かの記事で読んだことがあるからである。事実とすれば、おかしな忖度をしたものである。八木節の「ちょいと出ました三角野郎が」は良いけれど、「月が出た出た」はよろしからず、というわけなのか。東京では「炭坑節」は、民謡というよりは盆踊りの歌か酒の歌、というイメージが強かったせいもあるかもしれない。
もっとも、この「炭坑節」は、当時は「月が出た」のあとに「三池炭鉱の上に出た」と歌われていたので、その頃激化していた労働争議「三井三池争議」のことを慮ったのか、という、うがった見方もできないことはないが。

 

そう言えば、この「管弦楽のためのラプソディー」には「原典版」があって、もともと外山雄三が書いたのは20分くらいかかる長い曲だった、という話は比較的よく知られているだろう。それを欧州演奏旅行のアンコール曲として演奏するため、大半をカットして7分半ほどの小曲に縮めてしまったのが、曲を初演した岩城宏之その人だった、という話も伝えられている。
その「原典版」はどんな曲だったのか、一度聴いてみたいものだ。カットされた部分は現在楽譜が失われてしまっているとかいう話だが、もののはずみで発見されるというケースもなくはないだろう。先日の大阪響の演奏会では、1961年に作曲された「管弦楽のためのディヴェルティメント」も演奏されていたが、これは外山が、盟友岩城の依頼に応じて1961年に書き上げたものであり、もしかしてその曲の中に失われた「ラプソディー」の一部が甦っているのかな、という気がしないでもない。

 

「管弦楽のためのラプソディー」は、日本の聴衆からは斜めに受け取られ、特に当時の批評界やマニアの聴き手からは一種の照れ笑いの対象となっていたが、外国の聴衆にはストレートに、徹底的に受けたと伝えられている。とりわけ首席フルート奏者・吉田雅夫が吹く哀愁に富んだ「信濃追分」の個所は、「この1曲で世界を制覇したと言っても過言ではない」(佐野之彦著「N響80年全記録」文芸春秋刊)ほどだったという。
私も吉田雅夫が次のように語っていたことを記憶している。「ここは洋楽の楽器フリュートで吹く個所ですが、日本の民謡の感じを出すためには、日本の笛のような音を出すことも必要でしょう。でもそれをあまりはっきりとやると、外国のお客さんからは誤解されかねない。そこを悩みましたね」。結局、彼なりの工夫を凝らした巧みな奏法が成功し、欧州の聴衆の感動を呼んだのだった。実際、この「信濃追分」の個所は、私たち日本の聴き手にとっても——いや、日本人だからこそだが——切々たる郷愁の念に胸を締めつけられる瞬間であろう。
外山雄三の作品には、この「信濃追分」のように、フルートが弦楽器群の柔らかい響きに支えられつつ、美しく日本の民謡を歌ってゆく手法が採られたものが多い。それらを聴くと、時たま誤解されるように——彼が決して鉦(かね)や太鼓を打ち鳴らして賑やかな曲ばかり書いた人ではなく、それよりも日本のしみじみとした叙情美をいかに巧く洋楽の手法を利用しつつ表現するかを追求した作曲家だったか、ということが理解できるのである。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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