新日本フィルの豊麗な力感、上岡の気迫みなぎる「言葉のない指環」
ワーグナーの大作「ニーベルングの指環」の音楽を演奏会用の大管弦楽作品に編曲したものでは、オランダの作曲家ヘンク・デ・フリーヘルによる「オーケストラル・アドヴェンチャー〝ニーベルングの指環〟」がよく知られているだろう。これは1992年に公開初演されたものだ。
しかし一方、大指揮者ロリン・マゼールによる「言葉のない指環」と題された大規模な管弦楽作品も、演奏される機会が少なくない。世に出たのは、実はこちらの方が先で、1987年に編曲され、マゼール自身が同年にベルリン・フィルを指揮した録音で広く知られるようになった。いろいろな場面からの抜粋とその接続の芸の細かさや、「もって行き方の巧さ」から言えばデ・フリーヘルの方にやや分があるとも言えるが、マゼールの大づかみで豪快な接続の手法も、なかなかの魅力を感じさせるだろう。
今回、上岡敏之が新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して演奏したのは、そのマゼール版の「指環」であった。これは、「ラインの黄金」の序奏に始まり、第2場冒頭の「朝のヴァルハル城」の場面へ続き、「ヴォータンのニーベルハイム下降」と「鍛冶の音楽」を経て「嵐を呼ぶドンナー」(ドンナーの歌「ヘダー、ヘドー」はトロンボーンで吹かれる)へ、そこから「ワルキューレ」の「第1幕序奏」と「ジークムントとジークリンデの出会い」へ飛ぶ――といった具合に進むのだが、上岡はいつものように、実に念入りに、丁寧に、じっくりと音楽を紡いで行く。大編成の新日本フィルを速いテンポで煽(あお)る場面ももちろんあるが、「ドンナーの嵐」や、前出の「出会い」、あるいは「神々の黄昏」冒頭の「夜明け」などで、極度に遅いテンポを採って音楽の緊張感を高めようとするのも彼の得意わざだ。
これに、彼が多用する長短のパウゼ(休止)の効果が加わると、この巨大な叙事詩のような「接続音楽」を、上岡は細部に至るまで疎(おろそ)かにせず、綿密極まりない構築で仕上げようとしていることが明確に解かって来るというものである。ただ、それが昂じると、今度は全体に滔々(とうとう)と押し流れる音楽の力を少し削ぐ結果を生んでしまう、と言えないこともないのだが。
その点、やはり圧倒的な迫力を感じさせたのは、「神々の黄昏」に入ってからの部分――もともと接続曲ではなく、ワーグナーみずからによって完成された音楽である「夜明けとジークフリートのラインへの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」、そして「ヴァルハルの炎上」を含む終曲の部分であった。特に「葬送行進曲」の個所は全曲のクライマックスともいうべく、新日本フィルは、まさに雄大に英雄ジークフリートの死を語り、惜しみ、慟哭(どうこく)し続けた。そして終曲、壮大な「ヴァルハルの動機」が火に包まれ、「ジークフリートの動機」とともに「神々の黄昏の動機」が崩れ落ちたあと、上岡と新日本フィルは、常よりも長いパウゼを挟んで、最後の「救済の動機」へ進み、ゆっくりと全曲を閉じて行った。この一連の個所における新日本フィルの豊麗な力感と、それを制御する上岡の気迫は実に見事で、ここを聴いただけでも、今日の演奏に十分な手ごたえを感じることができたであろう。
なお、今日の全曲の演奏時間は、およそ81分だった。マゼールが自ら指揮して録音したテラーク盤の演奏時間は69分45秒だったから、やはり上岡のテンポは遅いことになる。
新日本フィルのコンサートマスターは崔文洙。ソロ・ホルン(「ジークフリートのラインへの旅」)およびホルン・セクション(「ラインの黄金」序奏)の快演をも讃(たた)えたい。
(東条碩夫)
公演データ
新日本フィルハーモニー交響楽団 すみだクラシックへの扉 第43回
10月23日(金)14:00すみだトリフォニーホール
指揮:上岡敏之
管弦楽:新日本フィルハーモニー交響楽団
コンサートマスター:崔 文洙
プログラム
ワーグナー(マゼール編曲):言葉のない「指環」~ニーベルングの指環管弦楽曲集
他日公演
10月24日(土)14:00 すみだトリフォニーホール 大ホール(東京)
10月25日(日)14:00 RaiBoC Hall(市民会館おおみや)大ホール(埼玉)
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。










