東京オペラNEXT モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」セミステージオペラ

池内響の強烈なジョヴァンニ

適材適所のキャストと器楽との好バランスによる濃密な3時間

客席数300ほどのホールが濃密なオペラ空間になった。指揮者の村上寿昭が音楽監督を務める新しいオペラカンパニー、東京オペラNEXTの初の主催オペラ公演であるモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」。日本を代表する歌手たちを交えた適材適所の配役と器楽のバランスも絶妙で、親密な空間でこの作品の醍醐味(だいごみ)を全身で味わい続けた3時間だった。

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」セミステージオペラ。左から迫田美帆、加藤楓、池内響、西山詩苑(右上)、藤井麻美(右下) (C)Junichiro Matsuo
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」セミステージオペラ。左から迫田美帆、加藤楓、池内響、西山詩苑(右上)、藤井麻美(右下) (C)Junichiro Matsuo

村上のピアノにチェロ、ヴァイオリン、クラリネットが加わったアンサンブルは序曲から雄弁で、このオペラが併せ持つ悲劇性と喜劇性がからみ合い、舞台に強く誘引される。

アンサンブルは、村上寿昭のピアノにチェロ、ヴァイオリン、クラリネットが加わった (C)Junichiro Matsuo
アンサンブルは、村上寿昭のピアノにチェロ、ヴァイオリン、クラリネットが加わった (C)Junichiro Matsuo

オペラを強く牽引(けんいん)したのは池内響のドン・ジョヴァンニだった。色彩豊かなみずみずしい声とスタイリッシュなフレージングが魅力の池内だが、この日は英雄的な力強さと濃密な色気が加わった。また、声の作り方にウェットなところがなく、どこまでもドライ。人を人とも思わない巨悪でありながら、周りの人たちを魅了してやまない。そんなジョヴァンニ像が声を通して強烈に浮上するが、視覚的にもジョヴァンニそのもの。長身はもとより、シャープな動作から何事にも動じない表情まで、稀代のジョヴァンニだった。声を強く押し出しすぎる面もあったが、音楽的なバランスを欠く部分も、むしろジョヴァンニらしさにつながるという逆説すら生じた。

左から池内(ジョヴァンニ)とデニス・ビシュニャ(騎士長) (C)Junichiro Matsuo
左から池内(ジョヴァンニ)とデニス・ビシュニャ(騎士長) (C)Junichiro Matsuo

周囲がまた、一人一人が際立ちながらバランスも絶妙だった。山下浩司のレポレッロは安定した歌唱で、この役ならではの滑稽味を歌い崩さずに表現できる。それが可能な日本人歌手は、実は少ない。ドンナ・アンナの迫田美帆は、アンナらしい清楚な声と貴族的なフレージングに強い意志を滲(にじ)ませた。そのうえ声のすみずみまでコントロールが行き届き、第2幕のアリアのアジリタも鮮やか。ドン・オッターヴィオの西山詩苑も清新な声でフレージングに気品がある。2つのアリアはかなりゆっくり奏されたが、息に余裕がある美しいレガートで満たした。声と表現における迫田との相性もよかった。

左から藤井(エルヴィラ)と山下浩司(レポレッロ) (C)Junichiro Matsuo
左から藤井(エルヴィラ)と山下浩司(レポレッロ) (C)Junichiro Matsuo

ドンナ・エルヴィラの藤井麻美は、この役らしい強い情念が浮上する歌唱。加藤楓ゼルリーナはチャーミングな声に小悪魔的な色気を滲ませ、佐藤由基のマゼットもやわらかい声の清潔な歌唱が、気骨はあるが状況に翻弄される若い農夫像に重なった。カップルとしてのバランスは、この2人もよかった。そしてデニス・ビシュニャの騎士長が、朗々たる響きに怨念を滲ませ、ドラマを引き締めた。

左から加藤(ゼルリーナ)と佐藤由基(マゼット) (C)Junichiro Matsuo
左から加藤(ゼルリーナ)と佐藤由基(マゼット) (C)Junichiro Matsuo

一人一人がこうして適役だと、アンサンブルも冴(さ)える。そして終始、声は器楽の四重奏とのバランスがよかった。地獄堕ちのデモーニッシュな空気まで、四重奏で十分に伝わったことにも驚いた。

終始アンサンブルと声のバランスが良く、地獄堕ちのデモーニッシュな空気も十分に伝えた (C)Junichiro Matsuo
終始アンサンブルと声のバランスが良く、地獄堕ちのデモーニッシュな空気も十分に伝えた (C)Junichiro Matsuo

歌手たちに舞台の大きさに合った過不足ない動きをあたえ、親密な空間で濃密な芝居を味わわせてくれたのは演出の太田麻衣子。ただ1点、地獄堕ちしたジョヴァンニが最後、エルヴィラに抱かれるのはどんなものか。サッと退散したほかの連中も、ジョヴァンニに惹(ひ)かれていなかったか。だが、そこは意見が分かれるところだろう。こうして、知的な疑問を抱かせてくれるのも、質が高いオペラ公演ならでは。隅の隅までオペラの醍醐味を味わい尽くせた。
(香原斗志)

公演データ

東京オペラNEXT
モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」セミステージオペラ

7月5日(土)16:00 Hakuju Hall

音楽監督・ピアノ:村上寿昭
演出:太田麻衣子

ドン・ジョヴァンニ:池内響
レポレッロ:山下浩司
ドンナ・アンナ:迫田美帆
ドンナ・エルヴィラ:藤井麻美
オッターヴィオ:西山詩苑
ゼルリーナ:加藤楓
マゼット:佐藤由基
騎士長:デニス・ビシュニャ

ナビゲーター:朝岡聡

室内楽:NEXT管弦楽団

プロデュース:天羽明惠

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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