1人の芸術家の見事な成就〜エッシェンバッハのブルックナー「第7」
ブルックナー生誕200年記念の節目と、1人の芸術家がピアニスト、指揮者のファッハ(専門領域)を超え、苦闘の末に手に入れた驚異の円熟の瞬間とが重なった。
エッシェンバッハは第二次世界大戦中の1940年、ドイツ領時代のブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)生まれ。戦災孤児となって母方の伯母からピアノの手ほどきを受けたが、11歳の時にフルトヴェングラーの演奏に接し、「最後は指揮者」と人生の目標を定めた。1960年代に先ずピアノで頭角を現しつつカラヤン、セルの指導もあおぎ、1970年代に指揮のキャリアを歩み出した。私は1982年4月3日、東京文化会館大ホールでエッシェンバッハ指揮ウィーン交響楽団のブルックナー「交響曲第7番」を聴いたが、まだ不器用な指揮ぶりで、ひたすら内にこもる音楽だった記憶がある。前半にはモーツァルトの「ピアノ協奏曲第27番」が置かれ、ピアノ独奏を兼ねていた。
42年後、84歳のエッシェンバッハがNHK交響楽団と演奏した「ブル7」は同じ指揮者と思えないほどのスケール、包容力を備え、破格の美しさと慈しみに満ちていた。
オーケストラは16型(第1ヴァイオリン16人)の対向配置。第1ヴァイオリンの隣にチェロが来て、その後方にコントラバスが並ぶ。面白いのはホルン4人、ワーグナーチューバ4人を客席から見て左右両端に分けたことで、第2楽章終わりに現れるワーグナーへの葬送行進曲の場面で、はっきりと弔鐘の重なりを意識させる効果を発揮した。さらにヴィオラとワーグナーチューバが縦一線に並んだ結果、予期しないほどの美しいハーモニーが生まれた。
第1楽章は悠然としたテンポで始まり、奏者の自発性を無理なく引き出しながら温かく優しく、牧歌的な雰囲気を醸し出す。中間部に入ると次第に憂いを帯び、続くトゥッティ(総奏)もどこか物悲しさが漂う。すべてが一つになり、クライマックスへと向かう場面ではしみじみとした情感から形而上の響きが立ち上り、美しさが一段と際立つ。
第2楽章では弦が透明度と輝きを増し、深い呼吸のアダージョを奏でる。ピアノから指揮に転じた直後はオーケストラも「固定サイズの楽器」と思うのか、スクエアな再現にとどまりがち。エッシェンバッハも最初は随分と息苦しい指揮ぶりだったが、80歳を超えた現在、どこまでも広がりのある音楽を魂の底から引き出すマエストロに大化けした。クライマックスのシンバル、トライアングルも全く突出せずに一体化していた。
第3楽章。冒頭のトランペット独奏(長谷川智之)を通常より控えめに吹かせ、過度におめでたくなるのを避けるなど、細かな指示の跡もうかがわせる。第2主題に入るとテンポを落として深い思いを彫り込み、スケルツォであっても歌の要素を重視していた。
第4楽章は一転、春の訪れの爽やかさとともに始まった。室内楽のような風通しの良さに乗り、クラリネット松本健司、フルート甲斐雅之、オーボエ吉井瑞穂らの木管ソロが美しい花を咲かせた。エッシェンバッハは緩急のメリハリをつけつつ、じっくりと盛り上げていく。終結部に向かう場面ではさすがにアクセルを踏み込んだが、大団円の直前では長めのルフトパウゼ(間)をとり、さらなる高みへと一気にかけ上った。巨大な音の伽藍がホール全体に広がり、しばしの沈黙の後、指揮者の手が下りると今度は拍手と歓声の洪水が押し寄せた。最後はエッシェンバッハのソロ・カーテンコール。
ついに訪れた「指揮者エッシェンバッハ」の成就、予想をはるかに超えたブルックナーの名演に胸が熱くなった。
(池田卓夫)
公演データ
NHK交響楽団第2008回定期公演Cプログラム
2024年4月19日(金)19:30 NHKホール
指揮:クリストフ・エッシェンバッハ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:川崎洋介
プログラム
ブルックナー:交響曲第7番 ホ長調(ノヴァーク版)
いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。