追悼記事 世界のオザワがキャリアの頂点で見せた光と影

去る2月6日に都内の自宅にて88歳で亡くなった世界的指揮者、小澤征爾氏を偲んで「毎日クラシックナビ」が持つ小澤さん関連の独自コンテンツを何回かに分けてご紹介したい。初回は当サイトを主宰する音楽ジャーナリスト・宮嶋極がウィーン国立歌劇場音楽監督時代の小澤さんを現地で取材した際のエピソードをもとに綴(つづ)った追悼記事です。なお、この記事はスポーツニッポン新聞に「悼む」として寄稿した原稿を補筆・拡大したものです。

◎小澤征爾氏を悼む

2005年6月、ウィーン国立歌劇場で小澤さんが指揮するオペラ公演(プッチーニ:〝マノン・レスコー〟)を取材した。当時、小澤さんはクラシック音楽界の最高ポストのひとつといわれる同歌劇場音楽監督を務めていた。04/05シーズンは彼が同劇場の公演を最も多く指揮した年であり、キャリアの頂点の時期だった。「マノン・レスコー」の公演は大成功、カーテンコールで万雷の喝采を浴びる小澤さんの姿がまぶしく感じられた。

ウィーン国立歌劇場
ウィーン国立歌劇場

終演後、楽屋を訪ねると小澤さんは下着だけの半裸で座っていた。先ほどまでの華やかな姿との落差に驚き、「マエストロどうなさったのですか?」と尋ねると「俺、いつも楽屋で浴衣を着ているんだけど今日持ってくるのを忘れちゃってさあ、一人暮らしは大変だよね」と苦笑い。「明日、音楽監督室においでよ」と誘ってくれたので取材も兼ねて翌日昼に伺った。

取材でも音楽の話題に加えて一人暮らしについての話になった。食事の準備など家事は現地の日本人ハウスキーパーがやってくれるそうで、夜ひとり帰宅し作りおきの料理を温めて食べているのだという。ステージでの華やかさとのギャップに戸惑いながらさらに話を聞くと「家族も忙しいから、娘(征良さん)以外はなかなかこちら(ウィーン)に来ることができないだよね」とポツリ。息子で俳優の征悦が出演するNHK大河ドラマなどのビデオやMLBボストン・レッドソックス(小澤さんは29年間、ボストン響音楽監督を務めていた)の試合を衛星中継で見ることを楽しみにしていると語っていた。

ウィーン国立歌劇場音楽監督室の筆者の取材に応える小澤さん
ウィーン国立歌劇場音楽監督室の筆者の取材に応える小澤さん

取材が終わり小澤さんはシーズンの担当公演が終了したのでオペラの指揮者用スコア(総譜)数冊を自宅に持って帰るために車に運ぶという。指揮者用スコアは電話帳のように厚く、電話帳よりも大きくて重い。それを劇場職員でなく自分で運ぶのだという。この時は70歳を迎える少し前。「私がお手伝いします」と筆者がスコアを抱えて駐車場まで運んだ。国立歌劇場の駐車場には高級車がズラリと並ぶ中、小澤さんの車は小型ファミリーカー。飾らない人柄の小澤さんらしいが、小型車を自分で運転していることにも驚かされた。

愛車に乗り込む小澤さん
愛車に乗り込む小澤さん

小澤さんは「楽譜を運んでもらったお礼に劇場のバックステージツアーをしてあげるよ」と自ら案内してくれた。普通は入れないエリアを見学させてもらい、最後はステージに出た。そこでは別の指揮者(ペーター・シュナイダー)が先の公演のリハーサル中。突然の音楽監督登場にリハはストップ。音楽ファンなら誰もが知る有名歌手たちが「セイジ、どうしたの?」と小澤さんの周りに集まり賑やかな人の輪ができ、彼はその中心で輝いていた。その姿はまさに世界のオザワであった。

ウィーン国立歌劇場のステージで万雷の拍手に応える小澤さん
ウィーン国立歌劇場のステージで万雷の拍手に応える小澤さん

米国の名門、ボストン響の音楽監督、ウィーン国立歌劇場音楽監督、世界のオーケストラ界の両横綱的存在であるウィーン・フィル、ベルリン・フィルの常連にして両楽団からそれぞれ名誉会員の称号を授与されるなど日本人音楽家としてはいまだに誰も到達できない域に上り詰めた小澤さん。ウィーンでの取材ではそうしたマエストロの光と影を目の当たりにする思いがした。華やかさの裏に人知れぬ苦労があったことを実感する体験であった。

マエストロ、安らかにお休みください。

宮嶋 極(毎日クラシックナビ主宰)

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