新国立劇場開場から四半世紀 存在意義示した「タンホイザー」再演

2007/08年シーズンに新国立劇場で新制作上演され、同劇場のレパートリーとして人気を誇るハンス=ペーター・レーマン演出「タンホイザー」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
2007/08年シーズンに新国立劇場で新制作上演され、同劇場のレパートリーとして人気を誇るハンス=ペーター・レーマン演出「タンホイザー」 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

新国立劇場の2023年におけるオペラ上演の第一弾、ワーグナー「タンホイザー」(ハンス=ペーター・レーマン演出)の再演についてリポートする。取材したのは初日、1月28日の公演。(宮嶋 極)

 

第2次世界大戦後、1951年から再開されたバイロイト音楽祭を主導しひとつの時代を築いたヴィーラント・ワーグナーの助手を務めたハンス=ペーター・レーマン演出によるワーグナーの歌劇「タンホイザー」のプロダクションは今回で4度目のお目見えとなる。アルゼンチン出身で現在はヨーロッパで活躍するアレホ・ペレスの指揮、今を代表するヘルデン・テノールのひとりであるステファン・グルールドを題名役に内外の実力歌手を配して上演が行われた。

 

ペレスの音楽作りは重心低く構造をがっしりと固めるドイツ的なスタイルではなく、やや速めのテンポ、メロディー・ラインを滑らかに際立たせ、ハーモニーの美しさを強調するものであった。和声感が明確になることで第1幕、ヴェーヌスベルクの場面の半音階進行による複雑な調性の効果が鮮やかに表出された。

 

このプロダクションは「タンホイザー」の複数ある版の中でいわゆる〝ウィーン版〟(パリ版と呼ばれることもあるが、本来のパリ版とは少し異なる)をベースに制作されている。筆者はこれまでこの版には違和感を覚えることが多かった。というのも初稿の完成からウィーン版上演までに30年もの年月が経過し、その間にワーグナーの作曲技法は飛躍的に進歩。その結果、ドレスデン版(第2稿)がそのまま残された部分と改訂・追加された箇所との間に整合性が欠けるように聴こえるからである。つまり同一作品中、音楽の雰囲気があまりにも違うものが混在しているのである。ところが、ペレスの指揮によってヴェーヌスベルクの場面で「トリスタンとイゾルデ」のように妖艶な響きが美しく紡ぎ出され、この場所がいかに異質な世界であるかということを聴覚的に印象付ける効果を生んでいたように感じた。今さらながら、なるほどこういうやり方もあるのかと納得させられる響きの作り方であり、ペレスの手腕の高さが伝わってきた。このところ好調の東京交響楽団も精緻(せいち)な演奏で指揮者の要求にきめ細かく応えていた。

題名役を務めたステファン・グールドとヴェーヌスを演じたエグレ・シドラウスカイテ 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
題名役を務めたステファン・グールドとヴェーヌスを演じたエグレ・シドラウスカイテ 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 歌手陣ではやはり題名役のグールドが歌唱、演技の両面で圧倒的な存在感を示した。オーケストラの強奏の中でも張りのある輝かしい声を客席の隅々まで響かせることのできるヘルデン・テノールはやはりワーグナー作品には欠かせない存在であり、今回、グールドの健闘が上演の成功に大きな役割を果たしたことは言うまでもない。エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラクは第3幕におけるデリケートで切々たる歌唱が光った。このプロダクションでは第2幕4場終盤のアンサンブルでエリーザベトが「あの人とその命のために乞い願います…」と祈りの気持ちを込めて歌う箇所がカット(関係者によるとプレミエ時の指揮者と演出家レーマンによる判断という)されているが、もし次に再演されることがあればぜひとも復活させてほしいものである。第3幕での死に繋がるエリーザベトの強い決意表明の大切な場面でもあることがその理由。(本音をいえば筆者はこの部分が大好きであるからカットされるといつも残念に感じる)

 

 ヴォルフラム役のデイヴィッド・スタウト、ヴェーヌスを演じたエグレ・シドラウスカイテら他の歌手も高水準の歌唱と演技を披露。さらに三澤洋史率いる新国立劇場合唱団も力強く美しい声でワーグナーならではの重層的なハーモニーをうまく構築しその実力の高さを示した。

エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラク (右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場
エリーザベト役のサビーナ・ツヴィラク (右) 撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 新国立劇場は昨年で開館から四半世紀を迎えたが、レパートリー公演でこれだけの水準のステージが実現できるようになったことだけでもこの劇場の存在意義を十分満たしていると評価することができる。1990年代まで日本のオペラシーンの中で、海外のオペラ劇場の引っ越し公演など特別の機会を除いてこれほどのクオリティのステージが日常的に披露され続けることなど想像することすらできなかった。新国にけん引されるように国内のオペラ上演団体のステージも、ガラパゴス的な日本国内の因習から脱却しさまざまな意欲的な取り組みが行われるようになった。これも新国の存在意義のひとつである。「タンホイザー」の上演を観ながら改めてそうした感慨が湧いてきた。次は半世紀に向けてさらなる充実と発展を期待したい。

公演データ

【新国立劇場 ワーグナー:歌劇「タンホイザー」再演】

1月28日(土)14:00/31日(火)14:00
2月4日(土)14:00/8日(水)17:00/11日(土)14:00

新国立劇場オペラパレス

指揮:アレホ・ペレス
演出:ハンス=ペーター・レーマン
美術・衣裳:オラフ・ツォンベック
照明:立田 雄士
振付:メメット・バルカン
再演演出:澤田 康子
舞台監督:髙橋 尚史
領主ヘルマン:妻屋 秀和
タンホイザー:ステファン・グールド
ヴォルフラム:デイヴィッド・スタウト
ヴァルター:鈴木 准
ビーテロルフ:青山 貴
ハインリヒ:今尾 滋
ラインマル:後藤 春馬
エリーザベト:サビーナ・ツヴィラク
ヴェーヌス:エグレ・シドラウスカイテ
牧童:前川 依子
4人の小姓:和田 しほり/込山 由貴子/花房 英里子/長澤 美希
合唱指揮:三澤 洋史
合唱:新国立劇場合唱団
バレエ:東京シティ・バレエ団
管弦楽:東京交響楽団

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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