北村 陽(チェロ)

2024年11月16日、スペイン・カタルーニャ地方のアル・バンドレイにてパブロ・カザルス国際賞の最終審査が行われ、日本人チェリストの北村陽が第1位を受賞したというニュースが世界を駆け巡った。
北村は、今年9月にジョルジュ・エネスク国際コンクールで日本人初優勝という快挙を成し遂げたばかり。とどまるところを知らない20歳の若き才能が、いま何を考え、どこへ向かおうとしているのか。現在学んでいるベルリン芸術大学でのエピソードや、12月11日にHakuju Hallで行われるチェロ・リサイタルへの意気込みを聞いた。
(取材・構成 野崎 裕美)

パブロ・カザルス国際賞にて第1位を受賞した北村陽
パブロ・カザルス国際賞にて第1位を受賞した北村陽

カザルスが奏でるバッハの深い音色は波の音

今回、音楽家としても人としても尊敬する、パブロ・カザルスの名前を冠したコンクールで1位を受賞することができ、大変うれしく思っています。9月のジョルジュ・エネスク国際コンクールから間がないタイミングで、曲目もまったく重複していなかったので、大変な部分はありましたが、あくまで作品と向き合うことに集中した結果、このような賞をいただくことができました。
最終審査の前日、カザルスの海辺の家を訪れ、海岸を歩いて波の音を聴きました。カザルスが奏でるバッハの深い音色は、この波の音からきているのではないかと感じ、ドイツで留学する中で考えてきた私の解釈と、ここで得たインスピレーションを繋げて、うまく自分の表現に落とし込むことができたのではないかと思います。

停電の夜、真っ暗な静寂の中で感じた音楽のぬくもり

雪が積もるベルリン芸術大学の前で

ドイツの冬はとんでもなく寒いのですが、そんな日に人々が集まってラジオを聴きながら何時間も政治について語り合うといったことが日常的に行われています。
ラジオといえば、ひとつ思い出深いエピソードがあります。留学を始めた頃、停電で街じゅうが真っ暗になり、静まり返ったことがありました。別の階に住んでいた大家さんがろうそくと軽食を持ってきて、ラジオをかけてくれたのですが、その時流れてきたモーツァルトやハイドンの音楽に、とても温かみを感じたのです。まだ電気がなかった時代の人たちがどういう思いで音楽と向き合い、何を求めてコンサートを聴きに行っていたのか、わかった気がしました。
ちょうどクリスマスの前だったので、「少し早めのクリスマスだね」と言いながら、皆でポジティブに停電を乗り切ったその夜の出来事がとても印象に残っています。

さまざまなバックグラウンドを持つ仲間と学ぶうちに、遠い国の出来事が身近なものに

ベルリン芸大オーケストラのチェロメンバーと
ベルリン芸大オーケストラのチェロメンバーと

いま留学しているベルリン芸術大学には、さまざまな国籍の学生がいて、日本では耳にすることがない話題が、頻繁に出てきます。
ドイツ語の授業で一緒になったウクライナからの留学生は、祖国が悲惨な状況になっていると話していました。ある時、授業中に隣で涙を流していたので、どうしたのか聞くと、自分でもわからないけれど、日々家族のことを考えているからなのかな…、と。ベルリンにいる自分には、どうすることもできないという気持ちがあったのかもしれません。
仲の良い韓国人のコントラバス奏者の友人には、兵役のために3年間、音楽を思うように学べない時期がありました。皆が音楽をたくさん吸収している間に、自分は何もできず、こんな年齢になってしまった、と話していました。
ベルリンにいて、当事者の声を直接聞くことで、私自身がより平和について考えるようになり、楽譜を見た時に湧いてくるイメージも大きく変わりました。

ベルリン芸大のレッスン室からの光景

ベートーヴェンからショスタコーヴィチまで――これまでの経験をリサイタルに詰め込みたい

12月のリサイタルでは、前半にベートーヴェンとブラームス、後半ではヤナーチェクとショスタコーヴィチの曲を演奏します。
音楽の喜びに溢れるベートーヴェンから、抑圧された環境に抵抗するような感情が込められたショスタコーヴィチの作品まで、全体を通してコントラストの効いたプログラムになっています。

最初に演奏するベートーヴェンのチェロ・ソナタ第4番は、曲の中にも明確な対比があります。2楽章からなる作品ですが、音楽的には1楽章の前半と後半、2楽章の前半と後半で、4~5つの部分に分けることができます。1楽章の前半にはテネラメンテ(teneramente)という、これまでの作曲家が使わなかったベートーヴェン特有の表現があります。イタリア語で〝愛情深い、優しさに溢れた〟という意味で、歌曲のように始まりますが、後半に入ると突然引き締まったユニゾン(複数のパートが同じ音で演奏すること)が出てきて雰囲気が一変します。
2楽章の前半は即興的で装飾も多いですが、後半ではガラっとテンポが変わり、無邪気で、ユーモア溢れる音楽になっています。きっと初めてこの曲を聴く方にも楽しんでいただけると思います。

次に演奏するのは、ベートーヴェンを深く尊敬していたブラームスのチェロ・ソナタ第2番です。以前、ヨハネス・ブラームス国際コンクールでオーストリアのペルチャッハを訪れた際、大自然に囲まれたヴェルター湖を見ました。ブラームスが友人に言った「ヴェルター湖には本当に美しい旋律が飛び交っていているから、それを踏み潰さないようにね」という言葉の通り、とても美しい場所でした。そこで得たインスピレーションも反映したいなと思います。

ペルチャッハのヴェルター湖畔にて。ブラームスと同じ景色を見てインスピレーションを受けた

後半では、チェコの作曲家、ヤナーチェクの作品を初めて弾きます。光栄なことに、今年は3度もチェコで演奏する機会をいただき、ドヴォルザークのひ孫にあたる方の案内で、ドヴォルザークが晩年を過ごした非公開の家を見ることもできました。さらに、その方がコンサートを聴きにきてくださり、〝ドヴォルザークのチェロ協奏曲を、ドヴォルザークホールで、ドヴォルザークのひ孫に聴いていただく〟という、奇跡のような経験をしました。
そういうこともあって、チェコという国に親近感を持つようになり、今回ヤナーチェクの作品を取り上げることにしました。「おとぎ話」は、ロシアの詩人、ヴァシーリー・ジュコーフスキーの詩から着想を得て書いた作品なので、最後はロシアに繋げてショスタコーヴィチのチェロ・ソナタを演奏します。抑圧された感情表現と、そこからどのように希望を見出していくかについての表現も探求していきたいと思っています。

ベルリン芸大で師事するイェンス=ペーター・マインツ先生と。良いところを褒めて伸ばしてくれる先生なので、安心して自分なりの表現を追求することができるのだそう(後方に見えるのはフォイアマンの写真)
ベルリン芸大で師事するイェンス=ペーター・マインツ先生と。良いところを褒めて伸ばしてくれる先生なので、安心して自分なりの表現を追求することができるのだそう(後方に見えるのはフォイアマンの写真)

ピアノとの親密な対話を届けたい

今回リサイタルで共演するピアニストの大伏啓太先生とは、留学する前から何度も共演させていただいています。ドイツで吸収してきたものを、以前の自分を知っている大伏先生にぶつけたらどうなるのか。先生はいつも、本番に突然何か仕掛けてもすぐに反応してくれる方なので、とても楽しみです。
いままでとは違うタイプのピアニストと演奏するのも刺激的で大好きですが、今回のプログラムでは、心から信頼する大伏先生と、より親密な対話を届けたいなと思っています。

生きるとは、分かち合うこと――音楽で平和を訴え続けたい

音楽をする上で私が心に留めている言葉があります。それは岩村昇さんという、ネパールの山岳地帯で伝染病の治療を続けた医師が遺した「生きるとは、分かち合うこと」という言葉です。
チェリストの私にできることは、音楽を通じて人々の心を繋げ、想いを分かち合えるようにすることだと思っています。
カザルスも音楽を通じて平和を訴え続けたチェリストでした。音楽で人々と共に祈りを捧げ、平和を願うこと。生涯平和を訴え続けたカザルスの遺志を引き継いでいくことが、これからの私の目標です。

「カザルスのように音楽を通じて平和を訴え続けたい」と力強く語ってくれた
「カザルスのように音楽を通じて平和を訴え続けたい」と力強く語ってくれた

公演情報

北村陽 チェロ・リサイタル

2024年12月11日(水) 19:00Hakuju Hall

チェロ:北村陽
ピアノ:大伏啓太

プログラム
ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1
ブラームス:チェロ・ソナタ第2番 ヘ長調 Op.99
ヤナーチェク:おとぎ話
ショスタコーヴィチ:チェロ・ソナタニ短調 Op.40

※12月11日(水)Hakuju Hallで開催される北村陽のチェロ・リサイタルの曲順が変更となりました。
詳しくはこちらをご覧ください。
https://www.japanarts.co.jp/news/p8891/

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