現役最長老、97歳のマエストロ、ヘルベルト・ブロムシュテットが2年ぶりにNHK交響楽団の定期公演に登場、ABC3プログラムをすべて指揮した。22年、23年と2度の転倒事故以来、いすに座っての指揮が続いているが、彼がN響から導き出した音楽は老いをまったく感じさせない瞠目(どうもく)すべき演奏であった。ABC各プログラムを開催順に報告する。(宮嶋 極)
【Bプログラム】
取材したのは10日の公演。ブロムシュテットがメンバーに混じって第1コンサートマスター郷古廉に支えられてステージに姿を現すと客席からの喝采は三倍増といえるくらいの盛んなものとなり、ブラボーの歓声が飛び交った。今回もいすに座っての指揮となったが、上半身の動きは大きくスムーズで、指揮には特に問題がないように映った。
コロナ禍の前からブロムシュテットはN響に来演するたびに自身のルーツと関係深い北欧ものを中心とした演目をいずれかの定期で取り上げている。今回はB定期がそれで、シベリウス(フィンランド)、ニルセン(デンマーク)、ベルワルド(スウェーデン)の作品が並んだ。このうちこの日の聴衆の大半が実演に接したことがあるのは〝トゥオネラの白鳥〟だけであったに違いない。しかし、ブロムシュテットが生み出す高い集中力と細部にまで指揮者の意思が行き届いたN響の演奏に退屈を覚えた人がほとんどいなかったことが客席の雰囲気から伝わってきた。
〝トゥオネラの白鳥〟は響きが細密にコントロールされ、弦楽器の深く沈みこんでいくようなサウンドが聴く者を作品世界へと引き込んでいく。N響首席クラリネット奏者、伊藤圭がソリストを務めて演奏されたニルセンのクラリネット協奏曲は、細かい音符を多用して半音階進行と複雑なリズムが特徴の技術的難度の高い作品である。ファゴット2、ホルン2、スネアドラム、弦5部という変則編成で、その分独奏楽器が際立つ作りとなっている。伊藤は超絶技巧を要するソロ・パートを美しく演奏し、今のN響管楽器陣の技術レベルの高さを示した。複雑なリズムの変化にもブロムシュテットは少しの〝よどみ〟もなく、的確に指示を与えて活発なアンサンブルをリードし、衰えを微塵(みじん)も感じさせない指揮ぶりをみせた。
フランツ・アドルフ・ベルワルドはシューベルトより1年早い1796年にストックホルムで生まれた作曲家。当夜演奏された交響曲第4番は古典的な作風が色濃く残る。ブロムシュテットは第1楽章ではソナタ形式の構成感をキッチリと表出した一方で、第4楽章になるとより自由なアプローチでコーダでは一気に加速して勢いをもって全曲を締めくくるなどの柔軟性に富んだ音楽作りを披露した。
【Aプログラム】
取材は20日、2回目の公演。オネゲルの交響曲第3番とブラームスの交響曲第4番という演目をブロムシュテットは近年、ウィーン・フィル、ロイヤル・ストックホルム・フィルと演奏、N響とも2020年に取り上げる予定であった。(コロナ禍で中止)今、彼がオネゲルの作品を取り上げる意図、そしてブラームス4番との共通性についてはN響の企画担当である西川彰一芸術主幹が同オケの公式サイトで解説しているのでご参照いただきたい。2024年10月定期公演プログラムについて | NHK交響楽団
オネゲル第3番、第1楽章は「怒りの日」との副題の通り、戦争の苛烈さ、不条理さを想起させる不協和音が頻出する激しい楽想だが、ブロムシュテットはオケをかなりの音量で鳴らしているにもかかわらず、その響きは不思議な奥深さを感じさせるものであった。最弱音から最強音までのレンジは広く、オケをしっかりハンドリングしていることが伝わってくる。第2楽章の濃密な響きの構築、第3楽章最終盤、譜面の隅々まで指揮者の意思が行き届いていることが明確に伝わってくる繊細な弱音は祈りの気持ちが投影された美しいものであった。最後の音が消え行ってから20秒近く拍手が出ずに静寂が保たれたのも良かった。
ブラームスは大仰な表現を一切排し譜面をそのまま音にしているような音楽作り。全曲にわたって高い緊張感が維持され、シンプルな中にも深みを感じさせる演奏はブラームスがこの作品に込めた意図を表現するものであった。ブロムシュテットの意思を実際の音に具現化しようと、この日のコンマス、川崎洋介をはじめとする若いメンバーの力演も好感が持てた。