速いテンポで堅固に構築~東京春祭 ワーグナー・シリーズ Vol.16 「パルジファル」

巨匠ヤノフスキをはじめ、実力派が揃った「パルジファル」 (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025
巨匠ヤノフスキをはじめ、実力派が揃った「パルジファル」 (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025

東京・春・音楽祭の中心企画のひとつである「東京春祭ワーグナー・シリーズ」。今年の演目「パルジファル」の初日公演(27日、東京文化会館大ホール)を聴いた。今年も同シリーズの顔となった86歳の巨匠マレク・ヤノフスキの指揮、NHK交響楽団、ステュアート・スケルトン(パルジファル)、タレク・ナズミ(グルネマンツ)、ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー(クンドリ)ら実力歌手と東京オペラシンガーズが充実の演奏と歌唱を繰り広げた。

ワーグナー・シリーズを8回指揮、もはや同シリーズに欠かせないマレク・ヤノフスキ (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025
ワーグナー・シリーズを8回指揮、もはや同シリーズに欠かせないマレク・ヤノフスキ (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025

まずヤノフスキの音楽作りから。彼がこのシリーズに登場したのは「ニーベルングの指環(リング)」のツィクルスが始まった2014年のことで、今回で8度目となる。この間、2016年からバイロイト音楽祭でキリル・ペトレンコの後を受けて「リング」(フランク・カストロフ演出)の指揮を担当し成功を収め、ワーグナー指揮者としての評価を不動のものとした。年を経るごとにN響との信頼関係も深まり、ヤノフスキが目指すワーグナーの音楽が理想に近い形で具現化されてきたのではないだろうか。速いテンポでキビキビと音楽を進め、ぜい肉をそぎ落とした質実剛健たる演奏はますます完成度を高めてきた印象。各幕の所要時間は第1幕(99分)、第2幕(58分)、第3幕(63分)とかなり速いテンポながら、速すぎると感じる箇所はなかった。ちなみに約220分という演奏時間、1951年にバイロイトでハンス・クナッパーツブッシュが指揮した時の272分と比較するといかに速いかがお分かりいただけるだろう。

題名役のステュアート・スケルトン(右)とクンドリを歌ったターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025
題名役のステュアート・スケルトン(右)とクンドリを歌ったターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025

では、なぜ速すぎると感じないのか。ヤノフスキは音楽の基本構造を堅固に構築した上で、物語に合わせてち密に表情付けを施しているからだ。さらに速い中にも細かく緩急の変化がつけられ、ワーグナー独特の譜面には記されていない間(ま)、言い換えれば〝ため〟のようなものがしっかりと表現されていたことが大きな要因であろう。

さらにパート間の音量バランスのコントロールが厳密に行われ、その結果、厚い和声がすべてを塗りつぶすのではなく、転調による響きの色合いの違いが繊細なタッチで表現されていた。それは第3幕、悟りを開いたパルジファルがモンサルヴァートに戻ってきて「聖金曜日の奇蹟(きせき)」に至るまでの音楽の美しい移ろいで大きな効果を発揮していた。

アムフォルタス役のクリスティアン・ゲルハーヘル (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025
アムフォルタス役のクリスティアン・ゲルハーヘル (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025

歌手陣ではまず、ナズミに拍手を贈りたい。豊かな声量を駆使してグルネマンツの苦悩を朗々としたタッチで深く掘り下げた歌唱は説得力に富むものであった。次にアムフォルタス役のクリスティアン・ゲルハーヘル。この役の苦痛を切れ込み鋭く表現。題名役のスケルトンは柔らかく強い声でパルジファルの成長ぶりを伸びやかに歌い上げた。バウムガルトナーのシャープな発声と歌いまわしは好みが分かれるところだが、クンドリという役にはむしろマッチしていたように筆者は感じた。クリングゾルのシム・インスンも安定感抜群の歌唱で魔界の不気味さを巧みに醸し出していた。日本人キャストにも穴がなく、歌手陣全体の水準は高かった。

グルネマンツの苦悩を深く掘り下げたタレク・ナズミ (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025
グルネマンツの苦悩を深く掘り下げたタレク・ナズミ (C)池上直哉 / 東京・春・音楽祭2025

また、聖杯騎士団である男声合唱はステージ上に、少年たちの声、天からの声である女声合唱を客席5階に配置することで、第1幕後半の聖堂の空間の広さと深遠さが聴覚面で効果的に聴衆に伝わった。

最後にN響。普段オペラの演奏機会が少ないだけにシリーズの最初の頃は違和感を覚えることもあったが、ここ数年はそうしたことはなくなり、今回も随所にこれぞワークナー・サウンドというべき響きを創出させていた。昨年まではオペラの経験が豊富な海外オケのコンマス(経験者)をゲストに呼ぶことが多かったが、今年はN響の若き第1コンマス、郷古廉がその任を務めた。ダイナミックなボウイングでオケ全体を力強くリードする姿からは、作品を十分に勉強して臨んでいることが伝わってきた。厳しいヤノフスキも彼に信頼を寄せていることが窺えた。また、第1幕と後半の第2・3幕でヨーロッパのオペラ劇場のようにオーボエやホルンなど負担の大きな管楽器のトップが交代していたことも、このシリーズを通じてN響がワーグナー演奏の〝コツ〟を掴んできたことを実証する光景にも映った。完成度の高い演奏に盛大な喝采はオケが退場しても鳴り止まず、ヤノフスキは主要キャストとともにステージに再登場して歓呼に応えていた。

(宮嶋 極)

場面の変化に伴う照明色の変化、ホール5階に配置した女性合唱など、視覚・聴覚的効果も取り入れて (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025
場面の変化に伴う照明色の変化、ホール5階に配置した女性合唱など、視覚・聴覚的効果も取り入れて (C)飯田耕治 / 東京・春・音楽祭2025

公演データ

東京・春・音楽祭2025
東京春祭ワーグナー・シリーズ Vol.16
ワーグナー:舞台神聖祝典劇「パルジファル」(全3幕/ドイツ語上演・日本語字幕付)

3月27日(木)15:00 ※取材日、30日15:00 東京文化会館大ホール

指揮:マレク・ヤノフスキ
アムフォルタス:クリスティアン・ゲルハーヘル
ティトゥレル:水島 正樹
グルネマンツ:タレク・ナズミ
パルジファル:ステュアート・スケルトン
クリングゾル:シム・インスン
クンドリ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
第1の聖杯騎士:大槻 孝志
第2の聖杯騎士:杉浦 隆大
第1の小姓:秋本 悠希
第2の小姓:金子 美香
第3の小姓:土崎 譲
第4の小姓:谷口 耕平
クリングゾルの魔法の乙女たち
  第1の娘:相原 里美
  第2の娘:今野 沙知恵 
  第3の娘:杉山 由紀
  第4の娘:佐々木 麻子
  第5の娘:松田 万美江
  第6の娘:鳥谷 尚子
アルトの声:金子 美香
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
合唱:東京オペラシンガーズ
管弦楽:NHK交響楽団
コンサートマスター:郷古 廉

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

連載記事 

新着記事 

SHARE :