本当のベルカントを伝える世界一優美な歌手 
テノールのマキシム・ミロノフがリサイタル

マキシム・ミロノフ テノール・リサイタル ジャパンツアー2024 ©️クラシック名古屋
マキシム・ミロノフ テノール・リサイタル ジャパンツアー2024 ©️クラシック名古屋

19世紀前半の優美な歌とはこういう歌唱だった

マキシム・ミロノフは数いるテノールのなかでも格別の存在である。新国立劇場でロッシーニ「セビーリャの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵、ドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」のエルネストを歌うなど、日本での演奏経験もあるが、必ずしも知名度が高いわけではないかもしれない。しかし、ミロノフの歌唱には凡百のテノールとは決定的に異なる美点がある。それは、かぎりなく優美だということである。

 

ロシア生まれのミロノフは、自他ともに認めるベルカント・テノールで、ロッシーニやベッリーニ、ドニゼッティなどを得意とする。そして、ミロノフが歌うと、彼らが書いた曲に内在する魂が深奥から引き出される。ILLIRIAレーベルから出された室内歌曲のCD、ベッリーニの『LA RICORDANZA(追憶)』と『Questo è ROSSINI!(これがロッシーニだ!)』を聴くと、磨き抜かれた言葉と、それが音楽と一体になった奥に生じる深い精神性、その世界を包み込む磨き抜かれた優美さに陶然とさせられる。

 

羽毛のようにやわらかい触感で、すべての音域に優美さがあふれ、艶を帯びながら、折々に官能の色彩や憂愁の響きをにじませる。そうした美しさは、ミロノフの個性であると同時に歴史的な根拠にもとづいている。19世紀初頭のテノールは、優美なテノール(テノーレ・ディ・グラーツィア)と力強いテノール(テノーレ・ディ・フォルツァ)に大別された。もちろんミロノフは前者に該当し、長らく途絶えていた「テノーレ・ディ・グラーツィア」の系譜が200年ぶりに復活したといっても、大げさではないだろう。

 

当時のテノールは、たとえば超高音を、いまのテノールのように胸声で響かせなかった。GやAから上の音は胸声にファルセットや頭声を少しずつ、自然に混ぜて響かせるものだった。すなわち高音にもやわらかさを添え、「テノーレ・ディ・グラーツィア」の優美さはどの音域においても損なわれることはなかった。ミロノフはそうしたテクニックを今日において駆使できる、世界でも稀有なテノールである。

マキシム・ミロノフ
マキシム・ミロノフ

2024年2月に京都、東京、名古屋で日本ツアー

京都、東京、名古屋で開催されるリサイタルでは、ロッシーニとベッリーニの室内歌曲のほか、ロッシーニのオペラ「アルジェのイタリア女」や「セビーリャの理髪師」から歌唱至難の技巧的なアリアが歌われ、モーツァルトの優美なアリアも披露される。そして、ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」におけるエドガルドのアリアが最後に歌われる。

 

いずれの曲もミロノフが歌うと、端正かつ精緻に表現され、一音一音から言葉のすみずみまで神経が行き届く。強い感情の表出とは無限で、どこにも過剰な表現は見出せない。そもそも、よほどのテクニックがないかぎり、こうした難曲を精密に歌うのは難しい。しかもミロノフは精密に歌いながら、歌唱に無限の色彩と変幻自在のニュアンスが加える。すると、歌はさまざまな感情を発しながら、聴き手の心を揺さぶり続ける。しかも、揺さぶる手触りはあくまでも優美なのである。

 

ミロノフは、彼がこだわり続けるベルカントの表現について、鑑賞経験がある歌舞伎にたとえて次のように語った。

 

「歌舞伎には決まった『型』があり、それを外れない動作が求められながら、『型』をとおして真摯な心や情熱、感情のぶつかり合いまでが表現されます。オペラも同じで、序曲があって、アリアがあって、カバレッタがあって、とくにベルカントの作品では、歌唱に一定の様式が求められます。そして偉大な歌舞伎役者も、すぐれたオペラ歌手も、この『型』を使って真の感情を伝えることができます。苦しみ、よろこび、死ぬ。そのすべてを『型』で表現して、観る人を感動させるのです」

 

「型」は「様式」と言い換えられる。ミロノフは作品の様式を精緻につくり上げ、そこに明から暗まで無限の色彩を加えて、どんなに激しい表現よりも豊かな感情を描出する。その際に、持ち前の優美な声をかぎりなく優美に響かせる。

 

19世紀の前半、ロッシーニやベッリーニの曲を聴いて熱狂し、涙を流し、時に失神していた聴衆は、こういう歌唱に打ちのめされていたのだろう。このリサイタルを聴けば、そう得心できるはずである。

(香原斗志)

公演データ

マキシム・ミロノフ テノール・リサイタル ジャパンツアー2024

​2024年2月16日(金)開演:19:00~ (開場 18:30~)
京都:京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ

2024年2月18日(日)開演:14:00~ (開場 13:30~)
東京:浜離宮朝日ホール

2024年2月22日(木)開演:18:45~ (開場 18:15~)
名古屋:三井住友海上しらかわホール

料金:S席 10,000円、A席 8,000円、U25(25歳以下) 3,000円
チケット取扱い:https://www.mironovrecitaltour2024.info/ticket-info

主催:クラシック名古屋
後援:日本ロッシーニ協会・名古屋音楽大学
制作協力:alpha planning・Illiria Productions
お問い合わせ:クラシック名古屋 Tel:052-678-5310
公演詳細:マキシム・ミロノフ | マキシム・ミロノフリサイタルツアー(mironovrecitaltour2024.info)

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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