1971年、東条氏が初めて群響のライブ録音に訪れた際のエピソードから続きます(前編はこちら)
落雷と停電でひと騒動
第3楽章のさなか(その個所は今でも覚えている)、ついに危惧が的中し、どこかで落雷があったらしく、ホールの照明など電気系統が落ちかかり、テープレコーダーも止まりかけた。幸いにも電源は瞬時に復旧し、エンジニアがテンションを秒殺ではね上げた(当時はアナログのテレコである)が、終演後に聴き直してみると、予想通りその個所には回転ムラのため、派手なピッチの変動が生じていたのだ。
私は直ちに事務局と交渉し、マエストロと楽員たちにも頼んでステージへ戻ってもらい、問題の個所だけもう一度演奏し、録音することにした。マエストロも苦笑して「しょうがねえなあ」と言いつつ、「では(スコアの)ここからここまで」と言って指揮棒を振り上げたまさにその瞬間、今度は本当の停電となり、照明が落ち、真っ暗になってしまったのである。マエストロは「はい、(指揮)棒をよく見て!」などと冗談を言いながらつないでくれていたが、暗闇は5分、10分と続き、一向に回復する兆しを見せない。そのうち、楽員の一部が「いつまで待たせるんだ」と怒りはじめた。帰りの電車がなくなってしまうではないか、と言う人もいた。あとで聞いたところでは、この時は全市が停電で、電車も全て止まってしまっていたのだが……。中には「この楽章をカットして放送すればいいじゃないですか」とねじ込んで来る人もいた。若くて血の気も多かった私は思わず「皆さんの演奏を完璧な形で放送しようと思って一生懸命やっているのに、なんですかその言い方は!」とやり返し、スコアを床にたたきつける、などという所業に及んでしまったものだ。横にいた事務局の年輩の人が静かにそのスコアを拾い上げ、ゆっくりと埃を払い、黙って私の手に返してくれた。もしかしてその立派な人は、丸山勝廣氏だったのか?
ともあれ、電気は結局復旧せず、その場はそのまま解散となった。そしてわれわれは、そのテープの演奏を「公表できない」ある方法により、事故があったとは全く感じられないように修正して放送したのだった……。
スケールを増した群響
群響も、今では素晴らしいオーケストラになっている。定期演奏会の会場も変わった。あの「昭和三十六年ときの高崎市民之(これ)を建つ」という碑のある、市民の万感がこもった美しい群馬音楽センターも、さすがに老朽化の傾向は抑え難く、現在のホームグラウンドは新しい高崎芸術劇場だ。素晴らしいコンサートホールで、ここで聴く群響の音はスケール感を格段に増している。超大編成の作品もたやすく演奏できるので、レパートリーもいっそう多彩になった。もし「ここに泉あり」の時代の人たちがこの劇場を訪れて、そして音楽を壮大に響かせる群響を聴いたら、どんなにか感激するだろう。この5月の定期公演では、メシアンの「トゥーランガリラ交響曲」がある。また聴きに行ってみたいと思っている。
とうじょう・ひろお
早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。