第28回 聴き手の心を温かくしてくれる團伊玖磨

團伊玖磨=1999年09月撮影
團伊玖磨=1999年09月撮影

 「ぞうさん ぞうさん おはなが ながいのね」というあの有名な歌が、團伊玖磨氏の作曲だったことは、一般には意外に知られていないようである。

 もう一つ、「七色の谷を越えて 流れて行く 風のリボン」で始まる「花の街」にしても同様だろう。後者は昭和22年、戦後の日本がまだ焼け野原だった時期に、いつか再び街が明るい花で彩られる日も来るだろう、ということを夢見て作曲した、と團氏はのちに私の番組の中でも語っていた。いい曲である。私も幼い頃にラジオでこれを聞いた頃から、いい歌だな、と思っていたのだが、「ワニがあって 鰐があって」と聞こえる歌詞の意味がどうしても解らず、花の咲いている街にワニがいるというのはどういうことなんだろうな、と独りで考え込んでいたものである。正しい歌詞が「輪にな(~)って 輪にな(~)って」であると知ったのは、ずっとあとになってからだった。

 

 その團伊玖磨氏には、1960年代の終わり頃から70年代の初めにかけ、FM東海/FM東京の番組に何度も出ていただいたことがある。團氏は、エッセイ集「パイプのけむり」で知られるように文筆家としても素晴らしいが、また座談も名人であった。料理の話を聞くとこちらが本当に食べたくなり、旅の話を聞けば自分も行ってみたくなる、という気にさせてくれる人なのである。

 

 たとえば、「身体にいいという山菜をいろいろすすめられ、自分で包丁を振るって汁を作り(指を切って自分の血も混じったりして)飲んでみたら、本当によく効く。元気になった。でもだんだん作るのが面倒くさくなった。どれか一つか二つに絞ろうと思ったが、あまりにたくさんの種類を飲んでいるので、どれが効いているのか分からない。だからどれもやめられない」という話。

 

 こんな話もあった。ある日、氏は新宿駅の西口でタクシーに乗り込み、京王プラザ・ホテル――だったかどうか私の記憶が定かでないのだが、かりにそうしておこう――まで行ってくれと頼んだ。歩くと10分ほどの距離である。するとタクシーの運転手は、そんな近くまでの距離じゃ商売にならない、歩いてくれ、と言う。今では想像もできないことだが、その頃、タクシーが乗客を選ぶ、という時期があったのである。乗車拒否などは日常茶飯事、深夜の銀座では客がタクシーの窓をたたき「どこそこまで行っていただけますか」と丁重に伺いを立て、運転手が不愛想に顔を横に振ればそれっきり、という光景もざらに見られた。そういう時代の話である。

 

 團氏は「じゃ、どこまでなら行ってくれるのよ」と尋ねた。すると運転手は「まあ、せめて中野あたりまで行ってくれないとね」とぶっきら棒に言う。中野は新宿からJRで2つめの駅である。團氏「中野なんて用がないよ。僕は京王プラザに用事があるんだから」。運転手「じゃ、歩けばいいでしょう」。團氏「分かった。じゃ、中野なら行ってくれるのね」。運転手「ああ」。團氏「じゃ、いいよ。中野へ行ってよ」。運転手「中野でいいんですね」という応酬があって、とにかくタクシーは発車した。京王プラザを通り過ぎ、延々と走って、中野駅前までやって来た。運転手「お客さん、中野です。どこへ着けりゃいいですか」。團氏は悠然と「だから、京王プラザに行ってよ」。

 

 こういう話をサラリとする團伊玖磨氏の話術のうまいこと。そのあとにすぐ私がなぜかチャイコフスキーの「花のワルツ」を流して次の話に続ける、というような番組だった。

 

 日本のオペラ史上最大のヒットとなった「夕鶴」だけにとどまらず、團氏の作品には、聴き手の心を温かくしてくれる音楽が多い。60年代の半ば頃に、だれかからチケットをもらって團氏の演奏会を聴きに行った時のことは、私にとって実に懐かしい思い出である。たしか「岬の墓」とか「シルクロード」などを聴いたと思うが、その美しいハーモニーに心底から陶酔した。そのあと、新聞だか雑誌だったかに演奏会評が出たが、そこには「相も変わらず大編成の管弦楽と合唱を使い、旧態依然たる音を臆面もなく響かせた」とあった。ジョン・ケージやシュトックハウゼンの音楽がもてはやされはじめていた時代である。流行に乗らざれば人に非ず、と信奉する評論家先生の書きそうな文章ではあった。私だって、当時ジョン・ケージにもシュトックハウゼンにも夢中になり、草月会館にもしげく通ったりしてはいたけれど――。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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