第52回 来日イタリア歌劇団の頂点、1961年の「第3次」(2)

マリオ・デル・モナコ=当時のプログラム誌より
マリオ・デル・モナコ=当時のプログラム誌より

来日イタリア歌劇団の頂点、1961年の「第3次」(1)はこちら

ネットなどの予約手段や購入ルートなどなかった時代、筆者たち一般のファンがいち早く希望の席のチケットを入手する方法は、売り出しの前日からプレイガイドに並ぶ手段しかなかった。だがこれはなかなか楽しいもので、われわれもグループで銀座の十字屋(だったか?)の前の舗道に新聞紙を——いや、それはインクで服や手が黒くなるので、デパートの大きな包み紙とかシーツとかを敷き、その上で酒盛りをしたり、ポーカーに興じたり、男子と女子で雑魚寝をしたりと、夜が明けるまで大騒ぎをしたものである。通行人やドライバーたちから呆れた顔で眺められるのも、それはそれで愉快なものだった。

この第3次でのお目当てだったマリオ・デル・モナコは、「アイーダ」と「道化師」と「アンドレア・シェニエ」に出演したのだが、すべて予告なしのダブルキャストだった。それゆえ、彼が出ない日などに当たろうものなら、元も子もない。というわけで、筆者は友人たちのためにも綿密な予想を立てた。いずれの作品も初日はNHKがテレビで生中継をするはずだから、デル・モナコは必ず出る。そうすると、この日とこの日は、彼は休まなくてはならないから、別のテナーが歌うことになるだろう、だがこの日あたりには出るだろう、という具合である。結局、それらは全勝の結果を収め、仲間たちの中で大いに株を上げることができた。

そのマリオ・デル・モナコの舞台と歌、あるいは後年のインタビューでのエピソードについては、このコラムの第3回と第4回に詳しく書いた。あれから60年以上も経つというのに、いまだに彼の歌唱から舞台の一挙一動に至るまで、当時の情景が鮮明な記憶となって残っているのは、いかに彼の印象が強烈だったかの証明だろう。
「アンドレア・シェニエ」の第4幕で「5月の晴れた日のように」を歌い終わったあとに拍手が止まらず、彼が舞台の上で所在無げにしていたこと。大詰めの、マッダレーナ役のレナータ・テバルディとの情熱的な二重唱の場面で、筆者が座っていた1階席後方まで声がまっすぐに飛んで来たその迫力の凄まじさ。最後のカーテンコールで、彼が袖からひとり、誰かに押し出されて、「よせよ、やっぱり全員で出ようよ」とばかり、どたばたと袖に逃げ込んだ時の場内の大爆笑、そしてテバルディの手を無理に引っ張りながらまた現れた時の観客の大歓声——。

レナータ・テバルディ(左)と「アンドレア・シェニエ」のキャスト一覧=当時のプログラム誌より
レナータ・テバルディ(左)と「アンドレア・シェニエ」のキャスト一覧=当時のプログラム誌より

そのレナータ・テバルディに関しては、「アンドレア・シェニエ」よりも、むしろ「トスカ」における彼女の方が強く印象に残っているのだが、ただそれも、気品ある舞台姿が目に焼き付けられているだけで、どういうわけか、鮮烈な印象というほどではなかったのが不思議である。だが当時、マリア・カラスと人気を二分していたテバルディは、確かに歌唱は美しく完璧で、素晴らしいソプラノだったのであり、それはだれもが承知していたことだった。

筆者の観た日の「アンドレア・シェニエ」(3日目)で、革命の志士ジェラールを歌い演じていたのは、アルド・プロッティ(前回の項参照)ではなく、ジャン・ジャコモ・グェルフィ(第49回の項参照)だった。身体も並外れて大きいが、声も大きい。ただ、その声は大きいけれども、よく通るというタイプの声ではなく、ニュアンスもどちらかといえば単調な方だったろう。それに演技も、初日のテレビ中継で接したプロッティに比べると、むしろ大雑把な方である。第3幕の「ジェラールのモノローグ」のあとには当然ながら割れんばかりの拍手が起こったが、グェルフィはそのままジェラールの苦悩に浸るのではなく、歌い終わるや否や客席の方を向いて愛想よく手を揉み、にこやかに四方八方お辞儀をするという行動に出たのには驚いた。われわれはちょっと白けた思いになったが、さる物知りに言わせると、「イタリアのオペラ歌手にはああいうの、多いんだよ」とのことだった。本当かどうかは知らないけれども。

「イタリア歌劇団」はその後数次にわたり来日し、それは1976年の第8次まで継続された。その中には、1963年のエットーレ・バスティアニーニ、アントニエッタ・ステルラ、ジュリエッタ・シミオナートという豪華歌手陣で上演されたヴェルディの「イル・トロヴァトーレ」や、1973年のニコライ・ギャウロフ、アルフレード・クラウス、レナータ・スコットらによるグノーの「ファウスト」など、今なお忘れ難い上演も数多かった。それらはすべて、NHKがクラシック音楽界に貢献すること大だった、遥か昔の金字塔なのである。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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