第45回 小澤征爾さんと日本フィル

小澤征爾=1964年5月17日 名古屋市公会堂における日フィル特別演奏会のプログラムから
小澤征爾=1964年5月17日 名古屋市公会堂における日フィル特別演奏会のプログラムから

小澤征爾さんが、新日本フィルのシェフを務める以前には、分裂前の日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者のポストに在ったことは周知のとおりである。
もともと、彼とこの日本フィルとの縁は深いものがあった。1961年、小澤さんがバーンスタインのアシスタントとしてニューヨーク・フィルと「来日」した際か、あるいはその直後の時期に、日本フィルはいち早く彼を客演指揮者に迎え、いくつか演奏会を行なっていた。私もそれを聴きに行った。実は私が小澤さんの指揮を聴いたのは、その時が最初だったのである。ベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番で、曲が主部に入って第1主題が弱音で登場し、それがみるみる盛り上がって最強奏で確保される個所——それまで日本の指揮者が「ドイツ的」と称して、重いゆったりした表現で演奏することが多かったのに対し、小澤さんが明るい音色で日本フィルから引き出したそのクレッシェンドの、まあなんと劇的で凄(すご)かったこと! 私は「これだよ、これ! これこそ、僕らの世代が待ち望んでいた指揮者だ!」と、内心快哉(かいさい)を叫んだほどであった。
そしてまた、1962年に彼がN響の「指揮者」に迎えられながらも対立して訣別(けつべつ)したあと、失意の彼を激励するため翌年1月に開催された演奏会に出演したのも、日本フィルだった。

 

小澤さんは1968年に日本フィルの首席指揮者に就任したが、その前後の時期、私もよくその演奏会に通ったものだ。実際、その演奏は、どれもが素晴らしくスリリングだったのだ。ベルリオーズの「レクイエム」では、東京文化会館の5階席の上手側と下手側に金管群のバンダを配置し、四方から天地も崩れるほどの音響で「最後の審判の音楽」を轟(とどろ)かせた。同じくベルリオーズの「ファウストの劫罰」(演奏会形式)も素晴らしい演奏だったが、しかしこちらでは、最終場面での天使の合唱の部分で、児童合唱団を歌いながらステージに登場させるという演出が行なわれた。小澤さんは子供たちを見てにこにこしながら指揮をしていたので、温かい雰囲気ではあったものの、音楽に対する客席の集中力は完全に失われてしまった。せっかくの美しい終結がめちゃめちゃになってしまった、と私はひそかに憤慨したのだったが……。

日フィルの第222回東京定期演奏会より=1971年6月9日 日比谷公会堂
日フィルの第222回東京定期演奏会より=1971年6月9日 日比谷公会堂

ベルリオーズの「幻想交響曲」は、その頃から小澤さんの最強のレパートリーのひとつだった。当時フジテレビの中にあった日本フィルの練習場で、その「幻想交響曲」のリハーサルが行われていた時、ちょうどある週刊誌の記者が取材に来ていた(当時の小澤さんは、再婚問題で女性週刊誌に追いまくられていたのだ)。その記者は「ダイナミックだなあ、あの人の指揮は」と興奮しまくり、同意を求めるように私を見た。私は、小澤さんの音楽がただダイナミック一辺倒でなく、細やかさや叙情的なカンタービレの美しさでも際立っているのだ、と日頃から主張していたので、特に相槌(あいづち)は打たなかった。だが、クラシック音楽に詳しくない週刊誌の記者さえもが熱狂してしまう、そういう雰囲気が小澤征爾さんにあったことは、紛れもない事実だったのである。
私は、その頃はすでにFM東海(東海大学FM放送局、東京FMの前身)のスタッフとしてクラシック音楽番組の制作に従事していたので、小澤さんにもインタビュー形式で番組に何度か出演してもらっていたのだが、彼はある時こう語ってくれたことがある——「僕はね、日本では乱暴な(演奏をつくる)指揮者だって言われているけど、アメリカへ行くと、とっても繊細な演奏をつくる指揮者だって言われるんだよ。不思議だよね」。

日フィル第203回定期演奏会より。この時のプログラムはマーラーの「千人の交響曲」=1970年6月17日 東京文化会館
日フィル第203回定期演奏会より。この時のプログラムはマーラーの「千人の交響曲」=1970年6月17日 東京文化会館

日本フィルは、組合闘争が基で1972年3月をもってフジテレビと文化放送から専属契約を打ち切られ、6月には財団法人解散となり、「旧日本フィル」と「新日本フィル」とに分裂してしまう。前2局での放送がなくなった最後の3か月の定期公演は、私どもFM東京が乗りこんで収録放送したが、特にその最終定期で小澤さんの指揮したマーラーの第2交響曲「復活」は、今日を限りとばかりに日本フィルが燃え上がった、空前の熱演であった。この録音テープは現存しているが、未(いま)だにCD化されていないのは、痛恨の極みである。
小澤さんはその後新日本フィルと活動を共にし、日本フィルを再び指揮することはついになかった。だが日本フィルは2011年に小澤さんへ「渡邉暁雄音楽基金特別賞」を贈り、小澤さんも悦(よろこ)んでその好意を享(う)けた。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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