第42回 東京室内歌劇場、華やかな旗揚げの頃

東京室内歌劇場第3回公演(1970年2月13日~14日) メノッティ「霊媒」より
東京室内歌劇場第3回公演(1970年2月13日~14日) メノッティ「霊媒」より

東京室内歌劇場——建物の名前ではなくオペラの制作団体である——が旗揚げ公演を行ったのは、1969年9月のことだった。日比谷の交差点近くにある第一生命のビルの6階にあった旧第一生命ホールを会場とし、定期的に室内オペラを上演していくという意欲的な活動は、多くの音楽ファンから注目されたものである。プログラム冊子に掲載されていた「同人リスト」には、声楽家の畑中良輔(のち新国立劇場オペラ部門初代芸術監督)、指揮者の若杉弘、演出家の栗山昌良らオペラ界の重鎮たちを中心に、伊藤京子、小林道夫、三谷礼二、妹尾河童、佐藤信ら、当時の錚々(そうそう)たる楽界人たちの名が見える。

「上演に当たっては室内オーケストラを使うべきですが……。国の強力な援助または大スポンサーでも現れない限り不可能」(同冊子「ごあいさつ」)として、大抵はピアノで代用されていた。だが、これはこれで当時は十分楽しめたのである。字幕などない時期、もちろん日本語上演であった。

 

私も、この公演には足繁く通ったものだ。それは新鮮で、しかも音楽的な水準もすこぶる高かったのである。第1回の公演は9月の10日~12日で——手元に保存してある当日のプログラム冊子には、どういうわけかその公演日が載っていない——演目はガルッピの「田舎の智恵者」と、オルフの「賢い女」のダブルビルだった。前者は小林道夫の指揮とピアノ、大橋也寸の演出、大川隆子や加納純子の出演、後者は若杉弘の指揮と栗山昌良の演出、佐藤征一郎、瀬山詠子らの出演。王様を歌い演じた巨漢の佐藤征一郎のド迫力が、とりわけ記憶に残る。

第2回(1969年12月15日~17日)には、栗山昌良の演出で、12世紀の典礼劇「ダニエル物語」と、ヒンデミットの「ロング・クリスマス・ディナー」が上演された。前者では若杉弘と田中信昭が交替で指揮。「二匹のライオン」に、なんと畑中良輔と皆川達夫(音楽学者・監修者)が扮(ふん)していたのを、われわれ悪ガキどもは目を皿のようにして探したものである。また後者では北村協一が指揮、吉江忠男や鈴木寛一らが出演していた。90年間・90回のクリスマス・ディナーが猛烈な速度で進んで行き、新しい家族が下手側から登場して食卓に座り、歳をとり、間もなく上手側の暗闇へ去って行くという「世代の交替」が実に巧みに、かつ一種のすごみを滲(にじ)ませつつ、感動的に描かれていたのが今でも忘れられない。

 

こういう室内オペラの演出における当時の栗山昌良のセンスは、実に冴(さ)えていた。たとえば、第3回(1970年2月13日~14日)で上演されたメノッティの「霊媒」は、最も観客を沸かせたものだったろう。インチキ女性霊媒師のババ(桐生郁子)が自らも精神に異常を来し、養っていた少年トビーを幽霊と間違えてピストルで撃ち殺してしまう、という怖いオペラなのだが、そのラストシーン、カーテン(写真)の向こう側に隠れている少年に向かってババが狂ったように銃を発射すると、音楽が突然止まり、その不気味な静寂の中でカーテンの中央に真っ赤な血がじわじわと大きく広がりはじめる。やがてそのカーテンが、がたんと外れると、そのまま舞台中央のババの方へぐらぐらと揺れながら迫って来て、ついに彼女の前でどったりと倒れ、めくれたカーテンの中から血みどろの少年の姿が現れる。恐怖にかられたババが、「お前だったの!」と繰り返し呟(つぶや)くうちに音楽が高潮して終わる、というわけなのだが、私がその後DVDや舞台で見た「霊媒」の中で、この栗山昌良の演出ほど怖かったものはなかった、と言ってよい。ただし私の記憶では、あの時の舞台ではカーテンの位置がこの写真よりもっと舞台奥にあって、それゆえ血染めのカーテンが揺れながら客席の方へ近づいて来るように見え、恐怖感をそそられたような気がするのだが——。なにせ53年前の記憶だから、あまりあてにはならない。

 

視覚的な記憶ばかりが先に立ってしまったが、人間の記憶は、どうしてもそうなってしまうから仕方がない。ちなみにプログラム冊子には「レパートリー」として、ぺリの「エウリディーチェ」、パーセルの「ダイドーとエネアス」、ルソーの「村の予言者」、モーツァルトの「カイロの鵞鳥(がちょう)」、プーランクの「人間の声」、ストラヴィンスキーの「うぐいす」などという作品が並んでいた。私も全部見たわけではないけれども、とにかく当時としては、他の場所では全く見られなかったような、洒落(しゃれ)た小さいオペラにたくさん接することができたのだから、東京室内歌劇場の存在は、われわれにとってはすこぶる大きく、貴重だったのである。

東条 碩夫
東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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