「死と乙女」の深淵な世界をノンストップで駆け巡る1時間
何が出て来るのか分からないのが、コパチンスカヤの面白さ。自身で弦楽合奏用に編曲したシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」に古楽と現代曲を鏤(ちりば)めたCD(アルファ)は出ていたが、予想を超えた驚きの舞台だった。
コンサートの幕が開けるとホールは暗転に。客席の扉が開き、けたたましい歓声とともにコパチンスカヤとカメラータ・ベルンのメンバー(14人)が楽器を手に舞台になだれ込み、中世ヨーロッパの終末観を反映した「死の舞踏」を踊りながら弾く。それが終わるとコパチンスカヤは舞台袖へ、他のメンバーは舞台の壁際に。静かなドローン低音を背景にコパチンスカヤが、神の救済を求めるビザンティン聖歌を弾きながら戻ってきて、全合奏でシューベルトの「死と乙女」第1楽章。運弓を揃えて一糸乱れぬというのではない。一人ひとりがパッションと感情を思い切り放出させる。クレッシェンドで加速し、ディミヌエンドで減速するのはロマン派の演奏習慣だが、ひときわ表情豊かなのが、第1ヴァイオリンのコパチンスカヤだ。
第2楽章主題と変奏の前にコパチンスカヤが原曲のドイツ語詩を朗読。少女と死の対話だが、顔の表情や身振りなど役者顔負けのパフォーマンスだ。その後の主題と変奏は所々人数を増減するなどの工夫が凝らされ、強弱と情感の対照は最大限。フォルティッシモで弦を弓で激しく打ち叩くなど表現主義的ともいえるほどの大胆さ。楽章が終わるとチェロが低音を引き延ばして次の曲へ。不倫の妻を相手の男もろとも刺殺したルネサンス期のイタリア貴族ジェズアルドのマドリガーレ。「私は悲運ゆえに死ぬ、悲しい運命、私に死をもたらす者よ」と歌う5声のア・カペラ曲が弦楽五重奏で演奏されるのだが、人声のように聴こえてくるから不思議だ。続くスケルツォ楽章は魔女の集う夜の宴のごとき。フォルテはどす黒く、骸骨の軋(きし)みや悲鳴のよう。甘美なトリオを経て再現部はさらに激しさを増す。
ここで舞台上の2人のチェリストと、客席通路の2人のヴァイオリニストによって重く冷たい重音が奏でられる(クルターク「答えのない問いかけへの答え」)。ヴァイオリンの不協和な響きとともに客席に向かってコパチンスカヤが言う「休みなくRuhelos」(「カフカ断章」から)を合図に「死と乙女」終楽章へ突入。これも何かに駆り立てられるような、息もつけない迫真の演奏。休憩なし、拍手なし。始まってからノンストップで「死と乙女」の深淵な世界を表現した、嵐が通り過ぎたような1時間だった。
(那須田務)
公演データ
パトリツィア・コパチンスカヤ&カメラータ・ベルン 第1夜「死と乙女」
12月7日(土)17:00 トッパンホール
ヴァイオリン:コパチンスカヤ
弦楽アンサンブル:カメラータ・ベルン
プログラム
ネルミガー(ヴィアンチコ編):死の舞踏
作曲者不詳(コパチンスカヤ編):ビザンティン聖歌 詩篇140篇
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」第1楽章*
シューベルト(ヴィアンチコ編):死と乙女 D.531
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」第2楽章*
ジェズアルド:「マドリガーレ集第6巻」より〝わたしは死ぬ、わたしの悲運ゆえに〟
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」第3楽章*
クルターク:リガトゥーラ―フランセス=マリーへのメッセージ(答えのない問いかけへの答え)Op.31b
クルターク:「カフカ断章」Op.24より〝休みなく〟
シューベルト:弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810「死と乙女」第4楽章*
ヴァイオリン独奏と弦楽オーケストラのために、コパチンスカヤ自らが編曲した「死と乙女」*に、16世紀から現代にわたる様々な作品を各楽章間に挿入してのライブ・パフォーマンス
なすだ・つとむ
音楽評論家。ドイツ・ケルン大学修士(M.A.)。89年から執筆活動を始める。現在『音楽の友』の演奏会批評を担当。ジャンルは古楽を始めとしてクラシック全般。近著に「古楽夜話」(音楽之友社)、「教会暦で楽しむバッハの教会カンタータ」(春秋社)等。ミュージック・ペンクラブ・ジャパン理事。