作曲スタイルの変遷を時系列で克明に再現する美音
カナダ人ヴァイオリニスト、ジェイムズ・エーネス(1976―)は1995年にパガニーニの「カプリース(奇想曲)」全曲を録音してデビュー、今年8月にインディアナ大学ジェイコブス音楽学校の教授に就任した。2017年にはNHKのテレビ番組「クラシック音楽館〝バイオリン500年の物語〟」へ出演し、日本での知名度も高めた。技術面の不安は皆無、すべてにバランスのとれた演奏は洗練の極みにあるが、なかなか大衆的な人気に至らないのを残念に思ってきた。今回、紀尾井ホールが9月に諏訪内晶子のデュオ・パートナーとして来日したオライオン・ワイス(1981―)のピアノで、エーネスのベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ」全曲演奏会を企画したのは快挙といえる。
全10曲を5曲ずつに分け、番号順に2回で弾く前半を聴いた。1715年製ストラディヴァリウスの銘器「マルシック」の美音は冒頭から鮮明でヴィブラートは控えめ、スムーズな運弓によって艶やかに響く。まだ18世紀終わりの1797〜98年、27〜28歳で作曲した作品12の3曲にみなぎる覇気をエーネスも生き生きと再現するが、荒ぶる一歩手前にとどめ、品位を一貫して保つのが好ましい。まだピアノがソロで前面に出る場面も多く、ヴァイオリンがオブリガートに回る際の呼吸も絶妙だ。ワイスのピアノは精妙なタッチで透明度が高い音にもかかわらず温かみがあり、ベートーヴェンにふさわしい。わずか1年あまりの間に2つの楽器のバランスが次第に伯仲、最後は天翔る闊達さへと至るプロセスを、2人はピタリとあった息で繊細かつ克明に再現した。
後半は本来、「3度関係の短調と長調のソナタの2曲セットのはずが、出版時点のミスで2つの作品番号に分かれた」(平野昭氏の解説より)という第4番と第5番〝春〟。前者ではベートーヴェンの短調作品特有の「つよいメランコリー」を深く的確にとらえ、弱音も生かしながらフレーズの重力を巧みにコントロールするなど、エーネスとワイスは落ち着いた佇まいの〝会話〟を繰り広げ、第3楽章の丁々発止も存分に堪能させた。最後の〝春〟ソナタは速めのテンポで流麗に歌われ、知名度抜群の名曲であっても若さが失せないよう、軽やかさを大切にする。それでいて一般にイメージされるよりも峻厳な感触を与え、ベートーヴェンの強い意思を想起させる再現手腕は秀逸だった。
(池田卓夫)
公演データ
ジェイムズ・エーネス ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会I
11月14日(木)18:45紀尾井ホール
ヴァイオリン:ジェイムズ・エーネス
ピアノ:オライオン・ワイス
プログラム
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ全曲I(第1〜第5番)
ヴァイオリン・ソナタ第1番ニ長調Op.12-1
ヴァイオリン・ソナタ第2番イ長調Op.12-2
ヴァイオリン・ソナタ第3番変ホ長調Op.12-3
ヴァイオリン・ソナタ第4番イ短調Op.23
ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調Op.24「春」
アンコール
ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第6番作品30-1より第2楽章
※ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会II(11月16日(土)開催)の詳細は、紀尾井ホールのホームページをご参照ください。
https://kioihall.jp/20241116k1430.html
いけだ・たくお
2018年10月、37年6カ月の新聞社勤務を終え「いけたく本舗」の登録商標でフリーランスの音楽ジャーナリストに。1986年の「音楽の友」誌を皮切りに寄稿、解説執筆&MCなどを手がけ、近年はプロデュース、コンクール審査も行っている。