藤原歌劇団創立90周年記念公演 G.ロッシーニ「ラ・チェネレントラ」

バランスのとれた好演、山下裕賀の世界水準のアンジェリーナ

冒頭からよい意味で予想を裏切られっ放しであった。指揮の鈴木恵里奈は序曲から洒脱さが感じられる軽やかな音運びで、クレッシェンドも自然な泡立ちで力みがない。幕が開くと、ヒロインの義姉であるクロリンダ(米田七海)とティーズベ(髙橋未来子)の歌唱は、ロッシーニの様式を押さえており、アンジェリーナ(チェネレントラ)を歌う山下裕賀は、洗練された声を自然に放ち、期待が一気にふくらんだ。

アンジェリーナの山下裕賀の洗練された声に魅了された(第2幕) ©公益財団法人日本オペラ振興会、藤原歌劇団創立90周年記念公演「ラ・チェネレントラ」
アンジェリーナの山下裕賀の洗練された声に魅了された(第2幕) ©公益財団法人日本オペラ振興会、藤原歌劇団創立90周年記念公演「ラ・チェネレントラ」

「チェネレントラ」はイタリア語でシンデレラのことだが、このオペラには、ペローの童話にみられる魔法の要素は登場せず、ヒロインのアンジェリーナはもっと自立した女性として描かれる。それにしては、フランチェスコ・ベッロットの演出は人物を絵本から飛び出させ、12時に近づく時計をはじめペローの童話を意識させるのが若干気になった。が、童話に収まらない人間ドラマが浮き彫りになったともいえる。

たとえば、王子ラミーロとアンジェリーナの出会いの二重唱。ラミーロの荏原孝弥は、甘くやわらかい声と巧みな装飾で、王子のみずみずしい心情を表し、山下が万全のテクニックで応じる。声を活かしつつ軽妙洒脱な鈴木の指揮と相まって美しかった。また、彼らのブッファを超えた真摯な心情は、ブッファのツボを押さえたドン・マニーフィコ(押川浩士)、ダンディーニ(和下田大典)らとの対比で鮮やかさを増した。

こうして歌手が揃うと、アンサンブルが映えてオペラが引き締まったが、アリアも鮮やかに歌われた。ラミーロのアリアで、荏原は彼女を探し出すという強い意思を、鮮やかなアジリタに、楽譜にないDをふくむ超高音を交えて歌った。声があと少し飛ぶとなおいい。

左からダンディーニ:和下田大典、ラミーロ:荏原孝弥、アンジェリーナ:山下裕賀、マニーフィコ:押川浩士、ティーズべ:髙橋未来子、クロリンダ:米田七海(第2幕) ©公益財団法人日本オペラ振興会、藤原歌劇団創立90周年記念公演「ラ・チェネレントラ」
左からダンディーニ:和下田大典、ラミーロ:荏原孝弥、アンジェリーナ:山下裕賀、マニーフィコ:押川浩士、ティーズべ:髙橋未来子、クロリンダ:米田七海(第2幕) ©公益財団法人日本オペラ振興会、藤原歌劇団創立90周年記念公演「ラ・チェネレントラ」

白眉は最後に待っていた。アンジェリーナが歌うロンドは、華麗なアジリタで広い音域を駆け回るもので、きわめて難度が高い。これを山下は少しも無理のない磨かれた声で、正確無比かつ鮮やかに歌い切った。玉座に昇ったアンジェリーナの善良さも、自分を虐待してきた義父と義姉をあえて許すという強さも、存分に表現された。
脇園彩と並ぶ世界水準のアンジェリーナであった。聴きながら涙が止まらなくなったが、それはすぐれた演奏で、ロッシーニの音楽の潜在力が十全に引き出された証である。運ばれたのは、深い愉悦の境地だった。

(香原斗志)

公演データ

藤原歌劇団創立90周年記念公演
G.ロッシーニ「ラ・チェネレントラ」
全2幕(イタリア語上演/字幕付き)

2024年4月28日(日)14:00テアトロ・ジーリオ・ショウワ

指揮:鈴木恵里奈
演出:フランチェスコ ベッロット
アンジェリーナ:山下裕賀
ドン・ラミーロ:荏原孝弥
ドン・マニーフィコ:押川浩士
ダンディーニ:和下田大典
クロリンダ:米田七海
ティーズベ:髙橋未来子
アリドーロ:東原貞彦
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:テアトロ・ジーリオ・ショウワ・オーケストラ

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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