クラッツァー演出「タンホイザー」再演 シュトゥッツマンのデビューも話題~バイロイト音楽祭2023 リポート4-③

バイロイト音楽祭(祝祭)のリポート第3回はトビアス・クラッツァー演出による「タンホイザー」の再演について振り返る。今年バイロイト・デビューとなるナタリー・シュトゥッツマンが指揮を務め注目を集めた。(宮嶋 極)

 

「ニーベルングの指環(リング)」のチケットが完売しないなど何かと負の話題が多かった今年のバイロイトの中で、再演ながら人気を集め、チケットがすぐに完売したのが「タンホイザー」であった。その理由はクラッツァーによる、よく作り込まれた読み替え演出が2019年のプレミエ以来、好評を博しているところが大きい。

 

演出のコンセプトは、快楽の異空間ヴェーヌスベルクをマイクロバスで移動するサーカス団に、芸術と純愛、そして信仰を象徴するヴァルトブルクの殿堂をバイロイト祝祭劇場に置き換えること。領主ヘルマンはじめヴァルトブルクにおける登場人物はバイロイトの出演者へと読み替えられている。序曲の開始とともに紗幕(しゃまく)に精緻な映像が投影され、舞台上の登場人物たちの動きと巧みにシンクロさせていく。

演者の動きと映像が見事にシンクロされた映画のようなタンホイザーの舞台 (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
演者の動きと映像が見事にシンクロされた映画のようなタンホイザーの舞台 (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

サーカス団のメンバーは「ドラァグクイーン(女装の男性によるパフォーマンス、もとは男性の同性愛者によるサブカルチャーの一種)」のル・ガトー・ショコラ、小説「ブリキの太鼓」に登場するオスカル(3歳で身体的な成長が止まった成人男性)、私生活に失敗した元歌手のピエロ(タンホイザー)、そして一行を率いるダンサーの女性リーダー(ヴェーヌス)の4人。彼らは「意志における自由 行為における自由 快楽における自由」という標語を掲げ、各地でこれを宣伝して回っている。これは「タンホイザー」の初演後に勃発したドイツ3月革命に参加したワーグナーが、自らの基本理念として発表したものである。つまり30歳代のワーグナーが抱いていた革命的な思想を象徴する言葉としてこの演出におけるキーワードとなっている。

 

これらは多様性の尊重が叫ばれる現代を意識した読み替えと捉えることができる。

ドレスデンにおけるドイツ3月革命でワーグナーが発表した標語のポスターを貼るドラァグクイーンのル・ガトー・ショコラ (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
ドレスデンにおけるドイツ3月革命でワーグナーが発表した標語のポスターを貼るドラァグクイーンのル・ガトー・ショコラ (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

演出は毎年少しずつ手直しされるが、休憩時に劇場の前庭で繰り広げられていたサーカス団のパフォーマンスが今年はなかったのを除けば、19年のプレミエ時から大きな変更はなかった。演出についてのさらなる詳細は毎日新聞のニュースサイト「毎日jp」の中にある旧クラシックナビに19年のリポートがアップされているのでご覧ください。

アンコール「バイロイト音楽祭2019」リポート(上) 歌劇「タンホイザー」新制作上演

音楽について。最も大きな注目を集めたのは指揮のシュトゥッツマンである。現代を代表するコントラルト(女声の最低域)として知られる彼女だが、近年は指揮者としての活動にも力を入れており、アトランタ交響楽団音楽監督、フィラデルフィア管弦楽団首席客演指揮者、メトロポリタン歌劇場への客演など米国で活躍し、最近ではヨーロッパのオケにも頻繁に客演するようになった。日本では水戸室内管弦楽団に客演し話題となった。

劇中劇として台本の設定に近い形で演じられる第2幕歌合戦のシーン (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
劇中劇として台本の設定に近い形で演じられる第2幕歌合戦のシーン (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

全体的な印象としては、オーケストラを開放的に鳴らし、大きな構えの音楽を作り出していたように感じた。終演後のカーテンコールでは盛大な喝采を集めていたことに加え、現地のネット・メディアに目を通してみると、概ね好評価であった。しかし、長年バイロイトに通う熱心なワグネリアンたちは少し異なる感想を語る人が多かった。40年以上バイロイト詣でを続けているワグネリアンのひとりは「良い演奏ではあったが、あれほど大きな拍手とブラボーは意外だった。少し前のバイロイトではあのようにはならなかったと思う。コロナ禍を経て観客・聴衆が入れかわってしまったのだろうか」と首を傾げた。筆者も同感である。それは彼女の音楽作りの中でポイントを外しているのでは、と感じたことがいくつかあったからだ。例えば第2幕4場、タンホイザーがヴェーヌスベルクにいたことを明かしてしまい、多くの人から非難を浴びせられ、ローマへ贖罪(しょくざい)の旅にたてと迫られる場面。人々がそれぞれの思いを語る大アンサンブルにエリーザベトが加わり「慈愛と恩寵(おんちょう)の神よ、どうかあの方を御前(みまえ)に詣でさせてください」と祈る箇所である。切々とした彼女の祈りが一番大きく聴こえないといけないはずだが、なぜかつぶやくように歌われるべきタンホイザーの「どうしたら許されるのだ…」の言葉が強い声で歌われ、エリーザベトの祈りを聴こえにくくする。このアンバランス、シュトゥッツマンの指示なのか、それとも歌手を十分にコントロールできていなかったのか。私は後者だったのではないかと感じた。こうしたことが全曲にわたって何カ所かあった。

エリーザベトを演じたエリーザベト・タイゲ。彼女は「ワルキューレ」のジークリンデでも熱演を披露した (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
エリーザベトを演じたエリーザベト・タイゲ。彼女は「ワルキューレ」のジークリンデでも熱演を披露した (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

そのタンホイザー役を歌ったのはクラウス・フロリアン・フォークトである。当初はステファン・グールドがキャスティングされていたが、病気のため降板。「ワルキューレ」のジークムント役であったフォークトが代役を務めた。フォークトはさすが安定した歌唱と演技で見事にグールドの穴を埋めた。

 

エリーザベトはエリーザベト・タイゲ。豊かな声量を巧みにコントロールし、この役のデリケートな心情をうまく表現していた。ギュンター・グロイスベック(領主ヘルマン)、マルクス・アイヒェ(ヴォルフラム)、エカテリーナ・グバノヴァ(ヴェーヌス)らも水準を十分に満たしたパフォーマンスを披露し、公演の成功を支えていた。

 

なお、降板したグールドだが、音楽祭閉幕後に胆管がんで余命宣告を受け、闘病していることを明かし引退を表明していたが、9月19日に亡くなったことが発表された。最近のバイロイトで中心的役割を果たしてきた名ヘルデン・テノールであったグールド。日本との関係も深く、今年1月、新国立劇場の「タンホイザー」でも題名役で名唱を披露していた。ご冥福を祈りたい。

ピエロの姿のタンホイザー(フォークト、左)とヴェーヌス(グバノヴァ) (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath
ピエロの姿のタンホイザー(フォークト、左)とヴェーヌス(グバノヴァ) (C)Bayreuther Festspiele /Enrico Nawrath

公演データ

【バイロイト音楽祭2023 ワーグナー:歌劇「タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦」再演】

8月7日(月)16:00バイロイト祝祭劇場

指揮:ナタリー・シュトゥッツマン
演出:トビアス・クラッツァー
美術&衣装:ライナー・ゼルマイヤー
ビデオ:マヌエル・ブラオン
照明:ラインハルト・トラウプ
合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ


〇主な出演者

領主ヘルマン:ギュンター・グロイスベック
タンホイザー:クラウス・フロリアン・フォークト
ヴォルフラム:マルクス・アイヒェ
ヴァルター:シャボンガ・マクゥンゴ
ビテロルフ:オラフール・ジーグルダルソン
エリーザベト:エリーザベト・タイゲ
ヴェーヌス:エカテリーナ・グバノヴァ
ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ
オスカル:マンニ・ラウデンバッハ
合唱:バイロイト祝祭合唱団
管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

※さらに詳しいキャストはバイロイト音楽祭ウェブサイトをご参照ください。

Performance Database – Bayreuther Festspiele

Picture of 宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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