くらしの中にクラシック
~音楽と共に生きる経営者の物語 第1回
カレーハウスCoCo壱番屋の創業者で現在は名古屋にある宗次ホールの代表を務める宗次德二さんがクラシック音楽と歩んできた軌跡をたどる連載の第1回。今回は宗次さんのクラシック音楽との出会いからホールの建設にいたるまでのお話を伺った。
花とクラシック音楽は人をやさしくする
名古屋、地下鉄東山線栄駅を出て大通り沿いに見えてくる「くらしの中にクラシック」という看板の文字。その大通りから1本入って黄色い花の列を進んでいった先に宗次ホールの入り口がある。この黄色い花は、宗次ホールの代表、宗次德二さんが丹精込めて育てたものだ。
「12月に植えて、いま4月なのでもう4か月間咲いてくれていますね。最近気温が上がってきて、だんだん花もだらしなく倒れてきたのであと1か月後には夏から秋に咲く花に入れ替えます。大変な作業ですが花は人をやさしくしますから、何とか続けています。音楽もそうですね。花を植えて水をあげる人やクラシック音楽を聴く人に悪い人はいません。私は両方やっています(笑)」
〝運命の音楽〟との奇跡的な出会い
「15歳からクラシック音楽をたくさん聴いてきました。25歳で商売を始めてからカレーハウスCoCo壱番屋(ココイチ)の経営を退くまでは遠のいていましたが、人にやさしくする人生を送ってこられたのは他でもない、いつも私を癒してくれた音楽があったからです。
私がクラシック音楽に出会ったのは15歳の時。ひょんなことから中古のテレビが家にきたので、アルバイト代でポータブルテープレコーダーを買ったんです。5千円の5回払いにして。それで初めて録音したのがクラシック音楽でした。本当は歌謡曲を入れたかったのですが、その時たまたまテレビで流れたのがメンデルスゾーンのヴァイオリン・コンツェルト(ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64)でした。これが見事に私の心の琴線に触れて、翌日から学校に行く前に必ず聴くようになったんです。
実はその時まで、私はクラシック音楽とは無縁の生活を送っていました。それどころか、半年くらい前まで家に電気もひかれていないような状況でした。ギャンブル依存症の養父に育てられ、食べるものにも困るような極貧生活を送っていたのです。
その父が病気で入院、養母と二人暮らしをするようになって少し生活が落ち着いた頃に出会った運命の音楽が、メンコンだったわけです。あの時レコーダーを買っていなかったら、もしテレビで放送していたのが歌謡曲だったら、同じクラシック音楽でもメンコンではなかったら……絶対にクラシック音楽とは縁がなかった。長い人生で、人や物との出会い、カレーとの出会いなど幸運な出会いはいろいろありましたが、その中でもクラシック音楽との出会いはトップ3に入ります」
突然決まったホールの建設
宗次さんは2002年、53歳の時に株式会社壱番屋の会長職を辞し、経営の一切から退いた。そして引退を機に、しばらく遠のいていたクラシック音楽への想いが再燃することになる。
「引退後はヨーロッパを巡ってすべてのオペラハウスを制覇しようと考えていた時期もありました。でもやっぱり多くの人にクラシック音楽を聴いてほしくて『自宅でサロンコンサートを開くので皆さん聴きにきてください』と知り合いの経営者などに声をかけて招くようになりました。それが回を重ねていくうちに、もっとアクセスの良い場所で開催できないかという話になり、名古屋の中心街に自宅兼サロンコンサートをするための土地を75坪買いました。さらに不動産屋さんに隣地をあたっていただいたらすべて買えまして、結果的に250坪になったんです。角地で250坪あれば小ホールができるじゃないかと。ならばいっそのこと音楽ホールを建てようと決めました。
当初、周囲は皆反対しましたが、会社経営で得たお金は社会から一時的に預かったもの。社会貢献活動をして社会にお返ししたいという気持ちが強かったので、最初からホールを通じて利益を生もうという発想はありませんでした。
確かに建設費の見積額を見て『こんなにかかるのか、すごい!』と思ったことはありましたが、後で後悔したくなかったので、お金をかけるべきところにはかけてくださいと言いました。いまも後悔はしていないし、心からホールを建てて良かったと思っています」(第2回に続く)
文:野崎裕美
宗次ホール
住所:愛知県名古屋市中区栄4丁目5-14
公式webサイト:https://munetsuguhall.com
Instagram: @munetsugu_hall
X: @munetsuguhall
facebook: munetsuguhall
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