<第43回>アンブロージョ・マエストリ(バリトン)

アンブロージョ・マエストリ (C)Dario Acosta
アンブロージョ・マエストリ (C)Dario Acosta

すごみが利いた圧巻のスカルピアから
柔軟で言葉が明瞭なファルスタッフまで

圧巻のスカルピアだった。2023年11月、ボローニャ歌劇場の日本公演におけるプッチーニ「トスカ」。アンブロージョ・マエストリは比類なく鳴るその声を高いポジションから響かせたが、その際、無理なく声が放たれ、圧倒的な音響がつくられた。また、声が自然に放たれるからこそだと思うが、発音が明瞭で、声はいつも美しい言葉と一体になる。

 

また、持ち前の声はそれなりに低いと思われるが、明るい光沢を帯びるので、ドスが利いた力強い声が、輝かしい響きをともなって届く。そんな声でスカルピアらしいすごみを表現したのだから、「圧巻」としかいいようがない。

 

マエストリの声をはじめて聴いたのは、2000年9月に行われたミラノ・スカラ座日本公演でのヴェルディ「運命の力」だっただろうか。上記のような特質は、当時から変わっていない。そして、このときのドン・カルロ役は、低めの声にえもいわれぬ艶と輝きを乗せながらヴェルディらしくエレガントで、それゆえに力強さとすごみと品格が同居していて驚かされた。すごいバリトンが出てきたものだと仰天したのが忘れられない。

 

実際、驚いたのは私だけではなかったようで、両親が経営するレストランを手伝いながら歌を勉強していた29歳の青年は、1998年に複数の国際コンクールで優勝後、その声を聴いたプラシド・ドミンゴや指揮者のダニエル・オーレンによって、即座に起用された。そして2000年2月、スカラ座の「ファルスタッフ」のオーディションに合格。以後、当時のスカラ座音楽監督リッカルド・ムーティに重用され、ムーティ在任中にヴェルディの重要な役をスカラ座で次々と歌うことになった。

自然に声を響かせるから使い減りしない

そのごく初期のものが、前述の日本公演における「運命の力」だった。要は、2001年のヴェルディ没後100周年に、作曲家ゆかりのブッセートの劇場で「ファルスタッフ」を上演するために、スカラ座はオーディションでマエストリが選んだのだが、あまりの才能だったので、ムーティがその前に起用を決めたのである。

 

もちろん、肝心の「ファルスタッフ」もマエストリの不動の十八番になった。スカラ座日本公演などで聴いた人も多いと思うが、自然な発声ならではのやわらかさ、明るい響き、気品、さらにすごみが同居して、自在に使い分ける。しかも前述のように言葉が明瞭だから、持ち前の腹でそのまま演じられることも相まって、このうえないファルスタッフである。

 

同様の理由で、2018年4月にスカラ座で鑑賞したドニゼッティ「ドン・パスクワーレ」のタイトルロールも、巧妙で圧倒的な役づくりだった。そして、ファルスタッフもパスクワーレも響きを少し前につくって、コミカルな場面で言葉を柔軟にさばいていく。しかも、ここぞという場面で力強い響きもつくれるから、やわらかい表現がなおさら生きる。

 

そして力強さを中心に置けば、すごみのあるスカルピアになる。元来、柔軟な表現も自在だから、決して一本調子にならず、この警視総監の嫌らしさや狡猾(こうかつ)さもじゅうぶんに表現される。今回感じたが、恵まれた「楽器」を存分に使って自然に声を響かせているから、使い減りしていない。今後も聴き続けたい、そして、また日本にも呼んでほしい、稀有(けう)なバリトンである。

香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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