指揮の広上淳一が演出の高島勲とタッグを組む日本フィルの「オペラの旅」がいよいよ始まる。Vol.1はヴェルディ「仮面舞踏会」で、歌手も日本最高峰の適材適所。2人に構想などを聞くと、いきなり記念碑的な公演になりそうな予感に包まれる。
(取材・文 香原斗志)
音響と芝居が両方楽しめる
広上にとっては、1989年にシドニー・オペラハウスで指揮した思い出の演目。未熟な当時に世話になった人への恩返しとヴェルディへのオマージュから、「酸いも甘いもわかる年齢になって」きちんと上演したいと思っていたそうだ。広上がいう。
「私の指揮者人生の中でも大事な仕事の一つで、育ててくれた日本フィルへの恩返しでもあります。2年前に演奏会形式で『道化師』を指揮して、こんなに劇場的な楽団はないと確信し、『オペラの旅』を通してオーケストラの力が次の高みに行くのを手伝いたい」
会場のサントリーホールはオペラ劇場ではないが、
「オケピットに入らないので、ヴェルディが書いた音響を純粋に楽しんでいただけて、芝居も味わえる。両方の感覚がブレンドする良さがあります。その意味では、今までにないオペラの楽しみ方を提供できるのでは」

高島もホールを活かしきる意欲が満々だ。
「衣装だけでも人物像がわかるように工夫しますし、また、ステージの周りにアクティングエリアを設け、オケの周囲もどんどん動いてもらいます。一方、演奏の聴き所では、たとえばチェロのソロでピットランプをピックアップするなど、オケピットでは見えない部分がお客様に見える工夫もします」
仮面舞踏会の場面では、コンサートホールであるのを逆手に取った趣向を考えているそうで、すると広上が「オーケストラも仮面を付けて演奏するとリアルですけど、音符が読めなくなっちゃうんで」と突っ込みをいれる。だが、高島は「いまのアイデアはいただきかも。邪魔にならない仮面を考えます!」。こうしてインタビューの間にも構想が深まっていく。
激変の今と重なって聞こえる
また、広上は音楽がつくづく魅力的だと語る。
「第2幕のリッカルドとアメーリアの二重唱は、新幹線の顔と同じ流線型です。『椿姫』のヴィオレッタは少し角張ってリズミックですが、アメーリアはとろけるよう。彼女は『愛している』と言いますが、本音なのでしょう。その辺もふくめて指揮に反映させようと思っています」
その場面では「2人の歌手にマエストロの横で恋愛を演じてもらうつもりです」と語る高島。広上と歌手との掛け合いも楽しみだが、オペラ全体でも、この上演ならではの掘り下げを企図しているようだ。
「ウルリカの占いから運命が狂うように見えますが、実はもっと前、オスカルが『ウルリカの占いは当たる』と歌うところから運命は狂い始めている。そういうこともビジュアル化できたら、と思います。またヴェルディの音楽は、激しい場面が突然静かに、といった急なチェンジが多く、映画の手法に近い。それも視覚化したいと」

広上もそうした場面について語る。
「歴史学者の磯田道史先生が、私たちは予想より早く激変の時代に吸い込まれている、と話していましたが、変化が加速する時代とこのオペラの音楽が重なって聞こえます。テンポの変わり方、流線型の重唱、第2幕冒頭の劇的な管弦楽、刺された後の赦(ゆる)し……」
イタリア統一戦争直前に初演された「仮面舞踏会」。その空気感が現代と重なるのだろうか。広上は「1つのフィクションとして捉えたくて」ボストン版を選んだ。リッカルドとレナートはたとえれば、「ロシアとウクライナ、習近平と台湾、トランプとイーロン・マスク……」(広上)。我々にアクチュアルなドラマが繰り広げられそうだ。
「合唱は東京音大の学生。次の世代にオペラの現場を見せながら将来への夢をあたえたい。そういう啓蒙もこのシリーズの理念にしたい。なにもかも逆手に取りたいと思います。日本フィルも『仮面舞踏会』の演奏は初めてで、初めて=さわやかで、この新鮮さにも期待しています」
オペラ劇場で上演するよりもむしろ立体的で、生命力あふれる「仮面舞踏会」が味わえそうだ。心して待ち受けたい。





※各公演の詳細はオペラの旅Vol.1 ヴェルディ「仮面舞踏会」特設ページをご参照ください。

かはら・とし
音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。