東京春祭 ワーグナー・シリーズ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(下)

高水準の歌唱を聴かせた歌手陣 (C)Spring Festival in Tokyo/Naoya Ikegami
高水準の歌唱を聴かせた歌手陣 (C)Spring Festival in Tokyo/Naoya Ikegami

(※㊤から続く)

東京・春・音楽祭のワーグナー・シリーズ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」(全3幕字幕付き、演奏会形式上演)のリポート後編は、ハンス・ザックス役を歌ったラトビア出身のエギルス・シリンスをはじめとする歌手陣と合唱について振り返る。取材したのは初日の4月6日、東京文化会館大ホールでの公演。(宮嶋 極)

 

ハンス・ザックス役のエギルス・シリンスは今回が同役初挑戦。その分譜面に目をやる場面も目立ったが、注目すべきはペース配分である。とにかく歌う箇所が多いザックス役は前半に飛ばしてしまうと、大切な終盤でスタミナ切れしてしまう。筆者もバイロイトやベルリンなどでも第3幕で声がかすれてしまい、終演後にブーイングを浴びた人気歌手を何度も見ている。後で修正できるCDや放送録画のようにはいかないところが、生身の人間による生の上演の面白味でもある。シリンスは第2幕冒頭の「ニワトコの香り」から次第にアクセルを踏み始め、第3幕の最終盤にピークをもっていくよう計算していたようで、大事なところでエンジン全開になったことで、演奏全体の印象度アップにも効果的な役割を果たしていた。

 

歌手陣で特筆すべきはベックメッサー役のアドリアン・エレートであろう。彼の同役はバイロイト(セバスティアン・ヴァイグレ指揮、カタリーナ・ワーグナー演出、09年)、ウィーン(クリスティアン・ティーレマン指揮、オットー・シェンク演出、08年)、そして一昨年の新国立劇場での上演(大野和士指揮、イェンス=ダニエル・ヘルツォーク演出)でも体験しているが、ますます磨きがかかり、演奏会形式ながら譜面も見ずにちょっとした仕草の演技も交えてまるで役に同化しているかのような見事な歌唱を披露した。経験に裏打ちされた表情豊かな歌唱という点ではダフィト役のダニエル・ベーレも同様。また、ヴァルター役デイヴィッド・バット・フィリップ、エーファ役のヨハンニ・フォン・オオストラムもワーグナー作品にふさわしいしっかりとした声量を駆使し、水準を十分に満たす歌唱を聴かせてくれた。

 

また、「マイスタージンガー」はコーラスが活躍する作品だが、バイロイト音楽祭の合唱指揮者エベルハルト・フリードリヒが西口彰浩とともに合唱指揮を担当したことで、東京オペラシンガーズのコーラスが一層表情豊かなものとなった。
ヤノフスキのタクトの下、ソリスト、合唱、オケのすべての演者が一体となって高い集中力をみなぎらせての「マイスタージンガー」は聴き応え十分で、見事な出来であった。

 

なお、来年はヤノフスキの指揮で「トリスタンとイゾルデ」が予定されているそうだ。同作は20年に予定されていたが、コロナ禍で中止となったため同シリーズで取り上げられるのは初めてとなる。今から楽しみである。

公演データ

【東京春祭ワーグナー・シリーズ 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」】

4月6日(木)15:00、9日(日)15:00 東京文化会館大ホール

ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」全3幕
(ドイツ語上演、日本語字幕付き、演奏会形式)

指揮:マレク・ヤノフスキ
ハンス・ザックス:エギルス・シリンス
ファイト・ポークナー:アンドレアス・バウアー・カナバス
クンツ・フォーゲルゲザング:木下 紀章
コンラート・ナハティガル:小林 啓倫
ジクストゥス・ベックメッサー:アドリアン・エレート
フリッツ・コートナー:ヨーゼフ・ワーグナー
バルタザール・ツォルン:大槻 孝志
ウルリヒ・アイスリンガー:下村 将太
アウグスティン・モーザー:髙梨 英次郎
ヘルマン・オルテル:山田 大智
ハンス・シュヴァルツ:金子 慧一
ハンス・フォルツ:後藤 春馬
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:デイヴィッド・バット・フィリップ
ダフィト:ダニエル・ベーレ
エーファ:ヨハンニ・フォン・オオストラム
マグダレーネ:カトリン・ヴンドザム
夜警:アンドレアス・バウアー・カナバス
合唱指揮:エベルハルト・フリードリヒ、西口 彰浩
音楽コーチ:トーマス・ラウスマン
合唱:東京オペラシンガーズ
管弦楽:NHK交響楽団(ゲストコンサートマスター:ライナー・キュッヒル)

宮嶋 極
宮嶋 極

みやじま・きわみ

放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。

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