インキネン、ゆかりの作品で日フィルのシェフとして有終の美

日フィルの首席指揮者として最後の公演に挑んだピエタリ・インキネン (C)藤本史昭
日フィルの首席指揮者として最後の公演に挑んだピエタリ・インキネン (C)藤本史昭

日本フィルハーモニー交響楽団の首席指揮者を2016年9月から務めてきたピエタリ・インキネンが、任期最後のコンサートをシベリウスとベートーヴェンで終えた。しかもシベリウス最後の作品である交響詩「タピオラ」に、ベートーヴェン・ツィクルス最終回に当たる「第9」交響曲と、実に意義深い演目となった。

 

シベリウスとベートーヴェンの組み合わせは、インキネンにとって、みずからのアイデンティティーと「現在」を示す象徴的な意味合いを持っていた。この2日前(5月19日)、JR大宮駅前のソニックシティで開かれた「さいたま定期演奏会」も、同じ2人の名曲を並べた構成で、ほかにも同様の例があった。

 

フィンランド出身のインキネンにとって、シベリウスは母国の偉大な先達。しかも日本は英国とならぶ「シベリウス大国」で、作品のファンが多い。日本フィルはフィンランド人の母をもつ創設者・渡邉曉雄の時代から、シベリウス演奏に長い伝統を誇る。したがって任期最後にあたり、初期の「クレルヴォ交響曲」(4月定期)、人気作の交響曲第2番と「フィンランディア」(さいたま定期)、そして最後に「タピオラ」を並べたプログラミングには、日フィルとの総決算としてシベリウスを総覧する意図があったとみるべきだろう。

 

当日の「タピオラ」も、冒頭から北欧のうっそうとした森と湖を思わせる、しっとりした陰影を含んだ柔らかい響きが、ふっと広がり、一瞬でシベリウス・ワールドへ引き込んだ。清冽(せいれつ)な叙情を漂わせる木管や、男性的で雄渾(ゆうこん)な金管が相まって、シベリウスの魅力が凝縮された傑作の真髄を、存分に味わわせてくれた。ソニックシティでの2曲のように何度となく演奏してきた人気作であっても、両者のコンビは、いかにもシベリウスらしい手厚く涼やかなサウンドをすっと繰り出して、その世界に連れて行ってしまう。こうしたシベリウス演奏の語法は、やはりDNAとして日フィルに受け継がれているのだろう。インキネンの棒にのみ、その功績を帰することはできまい。

オーケストラ、「第9」のソリスト陣も温かな拍手をおくる (C)藤本史昭
オーケストラ、「第9」のソリスト陣も温かな拍手をおくる (C)藤本史昭

そしてベートーヴェンである。インキネンは、ザールブリュッケン・カイザースラウテルンドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めている。ワーグナーの聖地、バイロイト音楽祭へ招かれる栄誉にも浴した。ドイツで腰を据えて活動できる場を得たことで、本場の流儀をみっちり吸収する環境が整った。そこで得た成果を日本にも還元する好ましいサイクルが生まれていた。

 

そこで触発されてか、近年はインキネンの指揮スタイル自体に変化が表れた。欧州の歌劇場での叩き上げで名をなした職人指揮者によくみられる、下からすくい上げるような動作でオーケストラをリードして、土台が強固で重心の低いサウンドを引き出せるようになった。これはドイツ音楽の解釈で大きなプラスになる。

 

従って当日の「第9」も全体の作りはオーソドックスで、しなやかな流れのなかに安定した風格をたたえていた。力ずくでオケを鳴らすことなく、自然な感興の盛り上がりを呈示。弦と管のバランスを周到に整えて見通し良いハーモニーを意識的に引き出すなど、細部のディテールへの目配りが光り、内声部の歌わせ方や強調に研究の跡がみられた。

 

コロナ禍で中断もあったベートーヴェン・ツィクルスの最終回に「第9」を充て、しかもそれが任期最後のコンサートになろうとは、幸せな巡り合わせだったと言うべきだろう。日フィルも次期首席指揮者カーチュン・ウォンとの門出が迫る。インキネン時代の締めくくりは、たいへん有意義だった。

オーケストラ退場後、聴衆の鳴りやまない拍手に応えるインキネン (C)藤本史昭
オーケストラ退場後、聴衆の鳴りやまない拍手に応えるインキネン (C)藤本史昭

公演データ

【日本フィルハーモニー交響楽団 第400回名曲コンサート】

(ベートーヴェン・ツィクルスVol.6)
5月21日(日)14:00 サントリーホール

指揮:ピエタリ・インキネン
ソプラノ:森谷真理
アルト:池田香織
テノール:宮里直樹
バリトン:大西宇宙
合唱:東京音楽大学
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団

シベリウス:交響詩「タピオラ」Op.112
ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」ニ短調Op.125

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深瀬 満

ふかせ・みちる

音楽ジャーナリスト。早大卒。一般紙の音楽担当記者を経て、広く書き手として活動。音楽界やアーティストの動向を追いかける。専門誌やウェブ・メディア、CDのライナーノート等に寄稿。ディスク評やオーディオ評論も手がける。

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