クラシックナビで毎年、お伝えしている在京オーケストラによる年末恒例のベートーヴェン第9公演聴き比べ企画。2023年のリポート後編はアラン・ギルバート指揮・東京都交響楽団、ジョナサン・ノット指揮・東京交響楽団、広上淳一指揮・岩城宏之メモリアル・オーケストラ(ベートーヴェン全交響曲連続演奏会)の3公演について報告します。(宮嶋 極)
【アラン・ギルバート指揮 東京都交響楽団】
首席客演指揮者であるアラン・ギルバートとの第9公演はコロナ禍で延期となっていたが、ようやく実現した。それだけにファンの期待も大きかったようだが、それに違わぬ充実の演奏が披露された。意外だったのは、アランがブライトコプフ旧版の譜面を採用していたことだ。ここ数年、国際的に活躍する外国人指揮者(高齢のマエストロは除いて)の大半が批判校訂版のスタンダードとなったベーレンライター版を採用することが多いからだ。都響でも21年の大野和士(都響音楽監督)との演奏ではベーレンライター版が使われていた。
とはいえ、アランの作り出した音楽は決して古びたものではなく、弦楽器にヴィブラートをかけずにストレートな響きを構築している箇所もあり、ヴァイオリンを対抗配置にするなど、最新のスタイルも意識しての音楽作りであった。何よりも彼の気迫が全曲にわたって横溢(おういつ)し、高い緊張感のもと指揮者の意図が細部にまで行き届いた完成度の高い演奏であった。アランが指揮台に立つと都響の燃焼度が増すことは普段の公演からも知られているが、この日はさらにその傾向が顕著となり、終楽章のコーダに向けての白熱ぶりはなかなかの聴きものであった。それだけにオケが舞台を降りても盛大な拍手が鳴り止(や)まず、アランがソリストとともに再登場し歓呼に応えていた。
☆公演・演奏データ
使用譜面:ブライトコプフ版(旧版)
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)14・12・10・8・6
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:約67分
ソプラノ:クリスティーナ・ニルソン メゾ・ソプラノ:リナート・シャハム テノール:ミカエル・ヴェイニウス バス:モリス・ロビンソン 合唱指揮:冨平 恭平 合唱:新国立劇場合唱団
コンサートマスター:矢部 達哉
取材日:12月26日(火) サントリーホール
【ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団】
東京交響楽団はここ数年、暮れの押し迫った時期に2日間だけ、音楽監督ジョナサン・ノット指揮による第9公演を開催している。筆者がこれを取材するのは4度目となるが、前年のコピーのような演奏になることは一切なく毎回、進化と変化を遂げて充実の度合を深めていることはノットの弛(たゆ)まぬ研究の成果であり、その姿勢に敬意を表したい。
ベーレンライター版を採用し弦楽器は12・12・8・6・5の編成、ヴァイオリンは第1と第2を対抗配置とし、全曲にわたってノーヴィブラート。作曲家在世当時の演奏法を再現するいわゆるピリオド(時代)奏法の要素をふんだんに取り入れたスタイルはこれまでと同じだが、前述の通り随所に変化がみられた。
昨年ノットをインタビューした際、東響との共同作業のテーマのひとつとして「リヴィズイット(再訪)による新たな発見」ということを挙げていたが、まさにこの言葉を実践する演奏といえよう。例えばテンポを微妙に動かすことで、楽想の変化をより明確に表現する手法などは前回までにはなかったスタイルで、第2楽章で顕著にみられた。過去のリポートではノットと東響の第9について21世紀におけるモダン・オケによるベートーヴェン作品演奏の目指すべき姿であったと報告してきたが、今回はそれにさらに磨きがかかったように感じた。
リピート記号をすべて実行したにもかかわらず全曲を62分で終える速いテンポだったが、これは22年末よりは1分程度長くなっており、テンポに変化をつけたことが反映されての数字といえる。その分、表情が一層豊かになり、ベートーヴェンが作品に込めた情熱や人類愛といったテーマがより自然に表現されることに繋(つな)がっていた。
ノットの激しいまでの気迫とそれを受けての東響メンバーの熱演ぶりも凄(すさ)まじく、終演後、毎年恒例の「蛍の光」のアンコールが終わり、オケが退場しても盛大な拍手が鳴り止むことはなく、ノットが舞台に戻って喝采とブラボーの声援に応えていた。
☆公演・演奏データ
使用譜面:ベーレンライター版
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)12・12・8・6・5
管楽器:譜面の指定通り
演奏時間:約62分(第2楽章388小節目からの繰り返しあり)
ソプラノ : 三宅 理恵 メゾ・ソプラノ : 金子 美香 テノール : 小堀 勇介 バス :与那城 敬
合唱指揮:河原 哲也 合唱 : 東響コーラス
コンサートマスター:小林 壱成
取材日:12月28日(木) サントリーホール
【ベートーヴェンは凄(すご)い!全交響曲連続演奏会】
ベートーヴェンの交響曲全9曲を1日で演奏するというユニークな演奏会も23年末で21回目を迎えた。これを聴かなければ年を越せないと話す聴衆も多く、大みそかの定番コンサートとしてすっかり定着したようだ。
指揮は22年に続いて広上淳一が務めた。21回中14回もひとりで指揮を続け〝振るマラソン〟を体現していた小林研一郎からバトンを引き継いで2回目となる広上だが、まだペースがつかめないのか第6番以降、疲れの色が少し見て取れた。(少なくとも客席からはそう見えた)しかし、そこはさすがベテランだけに第9では気力みなぎる指揮ぶりで、炎のマエストロと呼ばれるコバケンにも負けないほどの熱のこもった演奏を聴かせた。
岩城宏之メモリアル・オケはコンマスを務める篠崎史紀(N響特別コンマス)をはじめ、N響メンバーを中核に国内の主要オケの首席クラスやソリストとして活躍するプレイヤーら猛者を集めて毎年編成されている。今年も第1ヴァイオリンには篠崎に加えて伊藤亮太郎(N響コンマス)と郷古廉(同ゲストコンマス)の3人が名前を連ねていたほか、各パート・トップの大半をN響メンバーで固める布陣となっていた。それだけに弦楽器が14型ながらも、重心の低い重厚なN響的サウンドが随所で威力を発揮し、広上ならではのベートーヴェン像が力強く描き出されていた。第9では繰り返しをカットしていたにもかかわらず、演奏時間が69分と今回取材した中では最も遅いテンポで堂々たる威容を示していた。
今回筆者は第3番以降の全曲を聴いたが第9はもちろん全体としても各作品を真正面から捉えた広上の丁寧な音楽作りに好感が持てた。1年の終わりにベートーヴェンの交響曲にじっくり耳を傾け、いろいろなことに思いを馳(は)せるのはいいものである。大みそかにもかかわらず、東京文化会館に足を運び、長時間にわたる演奏に向き合った聴衆の多くが、このコンサートの末永い継続を願っているのは間違いないだろう。
☆公演・演奏データ
使用譜面:ブライトコプフ版(旧版)
弦楽器:(第1ヴァイオリンから)14・12・10・8・7
管楽器:木管は倍管(ピッコロ、コントラファゴット持ち替え)
ホルンとトランペットにアシスタント奏者1人
演奏時間:約69分
指揮:広上 淳一
管弦楽:岩城宏之メモリアル・オーケストラ
ソプラノ:竹下 みず穂 アルト:山下 裕賀 テノール:工藤 和真 バリトン:池内 響
合唱:ベートーヴェン全交響曲連続演奏会特別合唱団
コンサートマスター:篠崎 史紀
〇曲目
ベートーヴェン:交響曲第1番~第9番
取材日:12月31日 東京文化会館大ホール
みやじま・きわみ
放送番組・映像制作会社である毎日映画社に勤務する傍ら音楽ジャーナリストとしても活動。オーケストラ、ドイツ・オペラの分野を重点に取材を展開。中でもワーグナー作品上演の総本山といわれるドイツ・バイロイト音楽祭には2000年代以降、ほぼ毎年訪れるなどして公演のみならずバックステージの情報収集にも力を入れている。