充実した音楽、歌唱と問題を提起した最先端の演出 東京二期会「ドン・カルロ」

東京二期会「ドン・カルロ」より、エリザベッタを歌った竹多倫子(中央) 撮影:寺司正彦
東京二期会「ドン・カルロ」より、エリザベッタを歌った竹多倫子(中央) 撮影:寺司正彦

東京二期会がシュトゥットガルト州立歌劇場、横須賀芸術劇場及び札幌文化芸術劇場hitaruと提携し、ヴェルディ「ドン・カルロ」の新制作上演を行った。ロッテ・デ・ベアの読み替え演出が話題を呼んだ本作の東京公演初日(13日・東京文化会館)の様子を、オペラ評論家の香原斗志さんにレポートしていただく。

「ドン・カルロ」の上演は難しい。全5幕の歴史大作で、4幕版でも正味3時間を優に超える(今回は5幕版)。主要な登場人物は6人におよび、許されぬ恋、友情、父子の相克、嫉妬と裏切りと錯綜(さくそう)する人間関係のなかで、揺れ動く人間心理が描かれなければならない。音楽が弛緩(しかん)しないことがまず求められるが、伊サルデーニャ島で1990年に生まれたレオナルド・シーニは、東京フィルハーモニー交響楽団を指揮して、起伏に富み、繊細で、時に劇的なドラマを構築した。

 

横須賀で1回、札幌で2回上演したのちの東京公演で、演奏がこなれていたのも幸いだった。もっと劇的な高揚感がほしいという声も聞かれたが、私は同意しない。このオペラの登場人物はいずれも、公私、表裏のあいだで引き裂かれんばかりで、常に複雑な心理状態にいる。音楽を力で押すと、微妙なニュアンスが平準化されてしまう。

 

とくに感心したのは歌手を邪魔しないこと。弱声まで客席に届くように管弦楽の音量をコントロールし、テンポとニュアンスで歌唱を支える。みな歌いやすかったと想像するが、その結果、感情の起伏が立体的に表現された。むろん、ここぞという場面で管弦楽は強烈な熱を放つ。

右から、ドン・カルロ(樋口達哉)とエリザベッタ(竹多倫子) 撮影:寺司正彦
右から、ドン・カルロ(樋口達哉)とエリザベッタ(竹多倫子) 撮影:寺司正彦

ウィーン・フォルクスオーパー芸術監督、ロッテ・デ・ベアの演出も注目された。彼女によれば、舞台は環境破壊が進んだ30年後。難民が増え、困難な状況下で宗教が力をもち、権力による統制も強まっている状況だという。「ドン・カルロ」の世界は、宗教裁判はともかく現代人にとってもアクチュアルで、それを伝えるには時代を置き換える必要がある、というのがデ・ベアの考えだ。

 

志は悪くない。その結果、色彩豊かな歴史絵巻が暗いモノトーンの世界に置き換えられるのもやむをえない。私個人はト書きを尊重した演出で、時代が変わっても変わらない人間心理の普遍性を描くほうが好きだ。しかし、歴史的な作品が「現代劇」にもなるのだと、こうして証明することには価値がある。その意味で、「ドン・カルロ」の可能性を開拓したことを評価する。

 

そのうえで多少の注文をつけたい。第1幕、フォンテーヌブローの森で出会ったカルロとエリザベッタが、背後に登場したベッドで抱き合う場面。2人の関係をこうして見せ、引き裂かれたことによる傷の深さを示したのだろう。ねらいはいいが、直接的な描写が音楽とけんかをすることもある。ベッドは第4幕にも現れ、フィリッポ2世はエボリ公女とベッドを共にしながらアリアを歌う。だが、デ・ベアが重視する「リアリティー」を求めた結果、「彼女は私を愛していない」という歌詞との齟齬(そご)が生じた。また、フィリッポはズボンをはかずに宗教裁判長と二重唱を歌った。生々しいが、それが「リアル」であるかどうかは、意見が分かれるところだろう。

右から、フィリッポ2世(ジョン・ハオ)と宗教裁判長(狩野賢一) 撮影:寺司正彦
右から、フィリッポ2世(ジョン・ハオ)と宗教裁判長(狩野賢一) 撮影:寺司正彦

演出家と音楽の関係についても少し。第1幕冒頭、民衆が平和を待ち望む場面が描かれたが、その音楽はヴェルディがパリ初演前にカットし、以後、復活させなかったものだ。演出のコンセプトとヴェルディの意図のどちらを尊重すべきか、問題を投げかけた。また、第3幕にはヴェルディが書いていない音楽(ヴィンクラー「プッシー・ポルカ」)がはさまれた。カルロはここで子供たちが人形を火刑にするのをのぞき見し、心の闇を深める。意図はわかるが、ヴェルディの音楽をとおして表現したほうがよかったのではないだろうか。

 

だが、よりよい創造のために問題提起は不可欠である。

 

歌手はロドリーゴを歌った小林啓倫が品格と力強さが両立したロドリーゴだった。エリザベッタの竹多倫子も、困難な役をどの音域でも一定の音色を保ちながら歌って立派。カルロ役の樋口達哉も、レガートの揺れは少し気になったが、輝かしい声で力強く歌った。公演全体でもっともすぐれた歌唱を聴かせたのは、別日にエボリ公女を歌った加藤のぞみ。第2幕の「ヴェールの歌」では深い声を軽やかに響かせ、第4幕の「呪わしき美貌」では力強さにエレガンスを加えた。異なる表現を見事に歌い分けた。

シュトゥットガルトでの上演を尊重し、一部に性的、あるいは暴力的な表現も含まれた 撮影:寺司正彦
シュトゥットガルトでの上演を尊重し、一部に性的、あるいは暴力的な表現も含まれた 撮影:寺司正彦

公演データ

【東京二期会 オペラ劇場 ヴェルディ「ドン・カルロ」新制作】

全5幕 日本語および英語字幕付き原語(イタリア語)上演
10月13日(金)18:00、14日(土)14:00、15日(日)14:00 東京文化会館大ホール

指揮:レオナルド・シーニ
演出:ロッテ・デ・ベア

フィリッポII世:ジョン・ハオ(13・15日)/妻屋秀和(14日 ※以下同)
ドン・カルロ:樋口達哉/城 宏憲
ロドリーゴ:小林啓倫/清水勇磨
宗教裁判長:狩野賢一/大塚博章
修道士:畠山 茂/清水宏樹
エリザベッタ:竹多倫子/木下美穂子
エボリ公女:清水華澄/加藤のぞみ
テバルド:中野亜維里/守谷由香
レルマ伯爵&王室の布告者:前川健生/児玉和弘
天よりの声:七澤 結/雨笠佳奈
6人の代議士(全公演):岸本 大、 寺西一真、外崎広弥、宮城島 康、宮下嘉彦、目黒知史
合唱:二期会合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

Picture of 香原斗志
香原斗志

かはら・とし

音楽評論家、オペラ評論家。オペラなど声楽作品を中心に、クラシック音楽全般について執筆。歌唱の正確な分析に定評がある。著書に「イタリア・オペラを疑え!」「魅惑のオペラ歌手50:歌声のカタログ」(共にアルテスパブリッシング)など。「モーストリークラシック」誌に「知れば知るほどオペラの世界」を連載中。歴史評論家の顔も持ち、新刊に「教養としての日本の城」(平凡社新書)がある。

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