第30回 「カルメン」を教えてくれた名テナー、柴田睦陸

二期会「カルメン」より、柴田睦睦(右)、川崎静子=1954年2月、日比谷公会堂
二期会「カルメン」より、柴田睦睦(右)、川崎静子=1954年2月、日比谷公会堂

 柴田睦陸(しばたむつむ)さん――といえば、第二次世界大戦後の日本のオペラ界の勃興期における中心人物として、藤原義江氏と並ぶ人気テナーであり、また二期会(現・東京二期会)の創立者のひとりとしても知られている。最初は藤原歌劇団の公演でも歌っていたが、1952年に二期会を創設して以降は、その諸公演の主役テナーを務めていた。当時の二期会の記録を見ると、旗揚げ公演での「ラ・ボエーム」のロドルフォをはじめ、「マルタ」のライオネル、「フィガロの結婚」のバジリオ、「オテロ」の題名役、「椿姫」のアルフレード、「ルクリーシアの凌辱」の語り手、「コジ・ファン・トゥッテ」のフェランド、「ドン・ジョヴァンニ」のドン・オッターヴィオ、「ピーター・グライムズ」の題名役、「蝶々夫人」のピンカートン、「セビリャの理髪師」のアルマヴィーヴァ伯爵、「修禅寺物語」の源頼家など、二期会初期のほとんどの公演に彼の名が見える、という大車輪ぶりだったのである。中でも彼の当たり役として絶対的な評判を得ていたのが、「カルメン」のドン・ホセ伍長役であった。

 

 実は、私が初めて、しかも自分でチケットを買って日比谷公会堂へ観に行ったオペラが、その柴田睦陸さんがホセを演じた「カルメン」だったのである。1955年2月のことだった。カルメン役は川崎静子、エスカミリオに伊藤亘行、ミカエラに伊藤京子、フラスキータに毛利純子、メルセデスに池田智恵子、ダンカイロに立川澄人(のち清登)、スニガに佐々木行綱、モラレスに大橋国一の各氏という、当時の大物歌手や、若き精鋭歌手がずらりと顔をそろえた、すこぶる豪華な舞台であった。指揮は森正氏、演出は青山杉作氏だった。

 何も解らない頃ではあったが、初体験だから、いくつかの場面は鮮烈な記憶となっている。「カルメンお静」の異名で人気があった川崎静子さんは、さすがに美しく妖艶で華があったし、柴田さんは一見渋いが見事な貫禄だった。第3幕の幕切れでこの2人が舞台奥の高所で激しくもみ合う光景とか、第4幕での殺し場で2人が舞台狭しと逃げ回り追いかける修羅場とかは、今でもはっきりと思い出すことができる。あるいは若い伊藤京子さんの可愛い純なミカエラの姿とか、柴田さんと伊藤さんのすごい大立ち回りとかも――。

 

 しかし、初めて日本語上演のオペラを観たガキの私が、何とも寒気がして、身体がムズムズしてたまらなかったのは、会話調の日本語が西洋的なフシをつけて歌われていたことであった。幕開きで合唱(兵士)とモラレスが「退屈だ! 退屈だ! 退屈でかなわぬ」と歌い、やがて彼がミカエラに「何か探しているの?」 ミカエラ「ハイ、伍長に用事が」 モラレス「僕は伍長!」などとあって、「でもお嬢さん、それまでしばらくあそこで待ちましょう」などという言葉が「いかにもわざとらしいフシ」をつけて歌われるのを聞くその「照れ臭さ」たるや、筆舌に尽くし難いものがあった(そんな経験、私だけだっただろうか?)。もっとも、10分もたたぬうちに、そういうムズムズはウソのように消えてしまい、違和感など吹き飛んで、「日本語訳のオペラ」に同化できてしまったけれど。

 その「邦訳」を作ったのが、宗近昭という人で、それが何と柴田睦陸さんの別名だということを知ったのは、すこしあとのことである。彼は、実にたくさんの「邦訳」を作っていた。私は「カルメン」を観た後、銀座の日本楽器(YAMAHA)で、音楽之友社から出ていたその宗近昭訳「カルメン」の本を買い、そして「カルメン」のSP(78回転)レコード(十数枚組?)から気に入った場面を1枚ずつ買い集めては――当時はそういう買い方もできたのだ――訳本を見ながらレコードを擦り切れるまで聴き、ついに全曲を覚えてしまった。今でも「カルメン」を聴いていると、その邦訳が一言一句に至るまで頭の中に浮かんでくるのである。ホセ「それはこいつで突き刺すのだ!」 エスカミリオ「短刀で突くと?」 ホセ「分かったか?」 エスカ「分かり過ぎた! ではその逃げた兵隊は、お気の毒に、君か!」 ホセ「アー俺だ!」 エスカ「こりゃ愉快だ!」といったように。

 

 「宗近昭」は、訳本のあとがきで「いつかできるであろう決定訳のために」と書いていた。当時の人はみんなそう思っていたようだ。今日のような字幕など、考えられなかった時代の話である。だが当時、あの邦訳が、どれほどオペラを観る人々の助けになったことか。私もまた、その宗近昭――いや柴田睦陸さんのおかげで、当時「カルメン」に夢中になった者のひとりだったのである。

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東条 碩夫

とうじょう・ひろお

早稲田大学卒。1963年FM東海(のちのFM東京)に入社、「TDKオリジナル・コンサート」「新日フィル・コンサート」など同社のクラシック番組の制作を手掛ける。1975年度文化庁芸術祭ラジオ音楽部門大賞受賞番組(武満徹作曲「カトレーン」)制作。現在はフリーの評論家として新聞・雑誌等に寄稿している。著書・共著に「朝比奈隆ベートーヴェンの交響曲を語る」(中公新書)、「伝説のクラシック・ライヴ」(TOKYO FM出版)他。ブログ「東条碩夫のコンサート日記」 公開中。

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